この場面のおかしさを、日本語の世界にすっかり置き換えて再現することができるとしたら、たぶん、こういう感じなのだろう。
※以下、説明の都合上、東北弁を俎上に乗せるので、この後の部分、東北出身の方は、我慢して読んでください。
なんのマンガだったか、一切、思い出せないのだが、漫才で言えば、東北出身のボケ役に、ツッコミが入る場面。
「タチツテト!ナニヌネノ!はい、言ってみな」
「たつつつつー!なぬぬぬぬー!ホレ、言えたベー」
「言えてねーッ、つーの!」
当日、「スペインの雨」の場面で、けっこう、笑いがおきていたのには驚いたが、上記のようなやりとりが舞台にあったら、会場はもっと大きくストレートな笑いに包まれていただろう。
この後の、競馬場のトンチンカンな会話も、いまのネタをいかせば、こんな感じだろう。
「今日は、いい、お日和ですね。イライザさん」
「ええ、さようですわねー。タチツテトー。ナニヌネノー」
説明つきの「笑い」は、笑いではないのだ。
で、このおかしさがギャグとして、キチンと成立していないと、後半、イライザが、ぴしっとした「英語」を話して、ヒギンズとわたりあっていく話の綾が、生きてこないと思うのだが、いかがであろうか。
「オラ、わっがんねーだー」としゃべっていた娘が、「あなたは、私のことが、少しも、お分かりになっていない」と話す、レディーになるわけだ。
でも、以上のような置き換えは、二重の意味で不可能。
ひとつは、先に言ったとおり、スペイン云々が、この後の展開にからむからだが、もうひとつは、今どき、こんなことを笑いのタネにしたら、冗談ではすまないどころか、カタいことをあえて言えば、「人権」に関わる問題だろう。
もっとも、このミュージカルそのものが、ずばり階級差別のハナシで、以前から、どうもそのヘンがひっかかっていたのだが、昨日も、やはり、すっきりとは楽しめなかった。映画「プリティ・ウーマン」のように、設定を置き換えないかぎり、日本人の我々には、「もやもや」感が残ってしまうのではないか。そして、たまたま「目撃」したわけだが、こういう、よく考えるとアブナイ話を、高校生たちに、学校がすすんで見せているというのも、なんだかなーとも思った。
ま、とりあえず、今日は、この部分に深入りするのは、やめておきます。
だいいち、現代の日本社会では、関西弁をのぞけば、地方なまりは、少なくとも公の場では、駆逐されてしまっている。昭和30年代を舞台にした、映画「ALWAYS三丁目の夕日」に登場する、青森から集団就職で上京した少女にはなまりがあって、あらためて、そのことに気づかされた。が、これは余談。