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 地震があった。モーツァルトの協奏交響曲の第3楽章の途中で。

 演奏していたのは、リッカルド・ムーティ指揮のウィーン・フィルハーモニー
 サントリー・ホールの天井からつるされた、シャンデリアのような反射板がガチャガチャと音を立てて、軽く、キャッと女性の悲鳴があがった。

 このコンサート、一番安いチケットが手に入ったら行こうか程度の気持ちだったが、マウスのクリックがうまくヒットして、見事、最安席(それでも1万円)が「ゲット」できた。本日のメニューは、シューベルトの交響曲「未完成」、モーツァルトの協奏交響曲、シューベルトの交響曲3番。

 最低ランクなので、例によって、オーケストラの後ろ姿を拝む席だが、逆に指揮者の顔が正面に見える。
 悲鳴と同時に、演奏は一瞬とまりかけた。が、ムーティ氏は、ニコッと笑みをもらして、軽快なプレストを指揮し続けていった。この人、いつもムッツリとした顔で指揮しているのだが、この時の笑顔は、実にチャーミングだった。オーケストラもソリストたちも、シェフに続けとばかりに、軽快に演奏しつづけた(さすがに、アンサンブルは、しばし乱れたが)。
 会場の空気が一変した。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートを謹聴いたします。といった感じが抜けて、ライブを楽しむ雰囲気になった。まさに、怪我の功名。いや、このハプニングを逆手にとる、芸人魂の見事さ。

 もう一度、曲目を見ていただきたい。あんまり普通ではないと思う。前半の2曲はともかく、シューベルトの交響曲3番なんて、はたして、聴いたことのある人の方が多いのか、少ないのか。
 私は当然、モーツァルトねらいで、「だきあわせ」のシューベルトは、どっちかというと苦手。「未完成」の次に有名な「グレート」と呼ばれる交響曲も、CDを通して聴いたことがない。途中で寝てしまうのだ。だから、今日も、1万円も払ったんだから、せめて、寝ることだけはしないようにと決意して、サントリー・ホールにやってきたのだった。それにしても、ヘンな選曲だ………。

 3番を聞き出して、すぐに、選曲の趣向がわかった。このメニュー、だんだん曲が軽くなっていくのだ(音楽が軽くなるのではなくて、曲想が軽くなるという意味)。重たいロマンティックな「未完成」にはじまって、モーツァルトの中では、けっこう「濃い」曲想の2楽章をふくむ協奏交響曲。そして、はじめて聞くシューベルトの3番は、モーツァルトの「ハフナー交響曲」を思わせる、軽快で、リズミカルな曲だった。
 オーケストラのコンサートというと、最後は重厚な曲目でびしりとキメるというパターンが多い。たとえば、ブラームスの交響曲1番。このコンサートは、逆。どんどん曲想は軽快になっていき、ウィーン・フィルの軽快な持ち味が生きていく。けして、メカニックにはならずに、生き物のように音楽がぐいぐいと進む。第4楽章の、オーケストラが全体で呼吸をするように、テンポをあげていく爽快感は、ウィーン・フィルの独壇場だろう。私はあっけにとられた。
 
 とどめは、アンコールの「フィガロの結婚」序曲。これぞ、「軽み」の極地。
 シューベルトですっかり調子が乗りきったムーティとウィーン・フィルが、ここでは、一筆書きの勢いで、伝馬空を行くようなモーツァルトを披露した。キラキラとしたウィーン・フィルの音色がまぶしい。ムーティの生き生きとしていたことといったら。軽く指揮台でジャンプまでしていた。ああ、この人の指揮でオペラを聴いてみたい。
 そういえば、ムーティはスカラ座と喧嘩別れして、オペラから遠ざかっているんだっけ。その鬱憤を晴らすような指揮ぶり………というのは、うがった見方だろうか。

 最初にウィーン・フィルを聴いたのは、「余はいかにして……」に書いたとおり、私がモーツァルト好きになるきっかけとなった、1975年のベームとの来日の時で、一緒に来たのが、若き日のムーティだった。当時のプログラムに掲載された、「若獅子」とレコード会社の宣伝コピーで呼ばれた、ムーティの写真を載せておく。

 考えてみると時代がすっかりかわった。この来日の時は、最初のコンサートで、日本とオーストリアの国家の演奏があったりしたのだ。聴く方も、演奏する方も、ガチガチに、かしこまっていた。
 あれから30年。毎年のようにウィーン・フィルは来日するようになり、今回のような、やや「変化球」の、洒脱なプログラムを楽しむまでになった。

 ブラボー!ムーティとウィーン・フィル。
 極上のモーツァルトを楽しませていただきました。
 あ、それから、シューベルトの魅力を再発見しました。ウィーン・フィルにしか実現できない、洗練の極みのシューベルトです。
 ほんとうに素晴らしいコンサートでした。