昨年、ブルックナーの交響曲をいくつか、ほぼ連続して聴く機会があった。

ファビオ・ルイージの指揮するNHK交響楽団が、交響曲8番を「初稿版」で演奏していて、ブルックナーの「~版」ということにはほとんど関心がなく、演奏そのものも、あまり印象に残らなかったが、ジョナサン・ノットが、初稿版で演奏したら、おそろしいくらいに、前衛的で、不協和な音楽が鳴り響いたことだろう、「怖いもの見たさ」で聴いてみたい気もする、そんなことを書いておいたらば、今年は、ノットが8番を初稿版で演奏することになった。

そこにも書いたとおりだが、ブルックナーの音楽は、分かりやすそうでいて、実は難解。ベートーベンやらブラームスやらを聴きこんで、クラシック音楽を分かったつもりになっていて、そうした音楽の「論理」で理解しようとすると、ブルックナーは、とらえどころのない、ぶつ切れの音楽の羅列としてしか聞こえてこない。

ノットのブルックナーを聴いていると、これがいかに「前衛的な」音楽なのかが、よく分かる。ブルックナーの音楽は、シェーンベルクのように、メロディもリズムもとらえどころが無くなっていたり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」のように、あからさまに不調和な世界が展開していたりしていて、一聴して「これはヘンだぞ」と思わせる「外見」はしていない。 メロディもリズムも、ぜんぜんフツーなので、誤解してしまうのだが、ノットの演奏では、曲想と曲想が、いかに不協和にせめぎあっているかが、あえてエッジを立てるように再現され、そこにこそ、ブルックナーの面白さはある、と主張される。ノットは、毎回、近代以降の音楽をブルックナーにあわせて、プログラムを組むので、両者を連続してして聴くことで、その意外な共通性が「耳」で、納得できる。そんなノットが、初稿版を演奏したら、さぞ面白かろうと思ったのだが。

 

さて、結果は?

「怖いもの見たさ」で聴いてみたいという、不謹慎な興味を良い意味で裏切ってくれた演奏だった。N響を聴いていた時のような違和感がなく、実に、生き生きとした見事なブルックナーだった。ブルックナーについて、一般にもたれているだろうイメージの、重厚長大さも、8番の交響曲の多くの演奏から受ける深刻な雰囲気も、最初から、微塵もない。曲想と曲想のせめぎあいが、爽快な音響となって、「前衛」としてのブルックナーが立ち上がる。N響の時は、版の違いには無関心な私もさすがに驚いた、三楽章のシンバルの連打も、ぜんぜん違和感がない。

見事。

では、この演奏、気に入ったか。

本当に素晴らしいと思い、思い切り拍手しつつも、前回、ブルックナーの7番を聴いた時と、おんなじ気持ちが、今回は、はっきりと浮かびあがってきた。この人の演奏を面白いとは思っても、正直、文字通りに感動したという経験が.......ない。知的な興奮は、あっても、心がもっていかれるような感動をした記憶がない。今回も、ブルックナーの特質を見事に射貫いていて、見事だが、(すくなくとも私が求めている)音楽的な感動とは、ちょっと違うと思ってしまう。

 

たまたまだが、最近、故スクロヴァチェフスキ氏の指揮するブルックーを、ひととおり聴き直す機会があった。20年近く前になってしまうが、氏が読売日本交響楽団の常任指揮者を務めていた時、幸いなことにブルックナーを聴く機会が何度もあり、この体験が決定的に、私をブルックナー好きにした。身の震えるような感動が、実際に何度もあった。

今回、じっくりと録音を聴き直して、改めて感心したのは、実にきめ細かく、強弱やフレージングを工夫して、曲想を曲全体に溶け込ませていることだった。ひとつの完成された「自然」のようなブルックナー。言い換えると、ただの音響ではない、有機体のブルックナーが、熱くドラマを語っている。

氏が、音楽の道を志した(当初は作曲家として)のは、7歳の時にブルックナーの交響曲7番のアダージョを聴いた時だったとのこと。音楽への深い共感。気恥ずかしい表現だが、あえていえば、音楽への愛、が演奏全体を感動的にしている。

ノットをけなしているようで、申し訳ないが、ノットの音楽が冷たいといっているのではない、ノットと東響の演奏は、ブルックナーの音楽の恐ろしいような特異性を熱く深く、十二分に表現して見事だ。ただ、その知的な鋭さは、結局、どこまでいっても、私が、例えば、スクロヴァチェフスキのブルックナーから否応なく感じ取る感動には、届かないのではないだろうか。

私がクラシックを聴くワケ」で、岡田暁生氏・片山杜秀氏の「語りおろし」の対談を収録した、『ごまかさないクラシック音楽』を取り上げたが、この二人の英知が、取り扱いかねて、ここは「ごまかし」てないかと思わせるのがブルックナーで、「異端」の一語で、ほぼ素通りしている。高度に知的にクラシック全体を俯瞰しているこの本は、実に面白く、刺激的だが、そうした視点から、スルリと抜け出してしまうのがブルックナーなのかもしれない。

 

ノットは、今シーズンで東響の音楽監督を退く。ほぼ10年にわたって、ノットの音楽に魅了されてきた。と同時に、ここ最近は、自分が音楽に求めるものとの「ブレ」も感じ始めている。何も、「気が合う」ばかりが、ファンの条件ではない。残りの貴重な1年、改めてこの稀有な才能とじっくり付き合っていきたいと思い、会場を後にした。

 

 

ブルックナー交響曲 第8番 (第1稿/ノヴァーク版)

ジョナサン・ノット指揮  東京交響楽団

 

ミューザ川崎シンフォニーホール 2025年4月6日