4月18日に平和祈念館で初めて同窓会が開催されます。

ねこの手ハウスがなくなって、いろんな会場を借りて講座や同好会が続いていますが、顔を合わす機会が少なくなっていますので、大勢が集まる同窓会は貴重な場となります。

以前はねこの手ハウスにイベントの申し込み用紙を貼り出しておけば各自が記名していましたが、今ではねこの手ライングループでの呼びかけがメインになっています。

ラインに流しただけでは、なかなか前向きになれない人もあり、しかもグループラインに入ってはいるものの何年もお目にかかっていない人もいて、個別にラインで打診したり、電話したり。

拠点がなくなってから4ヶ月近くもたっていますので、個別に打診して現状がわかる人も。毎日ニャンコの世話に来ていた高橋さんは、変わらずモカちゃんの世話に来ているそうです。ねこの手ハウスに人が来なくなって人恋しいのか、高橋さんの家まで来るようになったそうです。ただ家の中には入らないそうです。今度の同窓会に、ねこの手ハウスの隣のリサさんと二人で参加するそうです。

手を骨折してしばらく自宅待機していた坂本さんが、同窓会にも外居酒屋にも参加するそうです。

かって初心者麻雀を教えていた古市さんが、ここ何年か来店していませんでしたが、グループライン投稿は見ているそうです。よそでボランティアで麻雀を教えているようですが、同窓会には参加するそうです。

外ランチや鎌倉歩こう会や歌声広場に参加していない人達には会う機会がないですが、同窓会でお目にかかれるので楽しみです。

画像は大岡川沿いの桜で、新庄さんと今井さんと桜を見ながら散策していると偶然山内さんと会い一緒に散策を続けました。ねこの手繋がりのおかげで楽しい日々がおくれます。

山口百記

2016年に会費を廃止したようです。
その頃の掲示板

昨年はみんなの気持ちの結集で15周年記念の集いが意味深いイベントとして終わった事を嬉しく思います。横浜市大の村田先生もねこの手風の価値を認めたお話をしてくださいましたが、今年は、一層ねこの手風に進化する年になればと思います。
 先日の「ねこの手だより」でも少し書きましたように、ねこの手を一部の人の大きな負担で成り立つ場にしない方が良いという意味から、会計さんと当番スタッフの大きな負担になっている会費徴収と管理を廃止し、新年度から会費なしの会員制に変えるべく運営委員会で検討をすすめています。それでやっていけるのかと心配してくださる声が聞こえてきますが、自立支援の会グループねこの手がスタートして15年たち、ねこの手ハウスを一生の場として、心の拠り所と思ってくださる人が増えた今だからこそできる事だと思います。今はまだ講座や同好会への参加だけの人達も、つながり続けていくことで、もっと関わりが深まる可能性を持っている場として、ねこの手ハウスは存在できていると思います。
 ご心配の収入源としては、店頭販売の野菜等の売り上げ、各種講座同好会の参加費の一部等、お休み処収入、委託品の売り上げの一割、寄付品売り上げ収入、カンパ収入、助成金となります。正直言って、会費相当金額程度をカンパとして出してくださる人達の存在に期待していますが、ねこの手が最も大切にしている「良い雰囲気」を壊すことになりますので、カンパカンパという声掛けは止めようと委員会で話しています。
  これまでも、誰が会員か非会員か、会員名簿を確認しないとわからない状態でしたが、会費徴収する必要性がなくなり、これまで通り、会員であろうとなかろうとイベントや講座や同好会に参加できますし、手作り委託品も置けますし、当番スタッフにもなれますし、年一回のねこの手の集いにも参加できるという事に変りはありませんので、会員と非会員の区別は会員名簿に載っているかいないかの違いだけになります。会員のみ利用できたねこの手サポート制をサポートスタッフの減少により最近廃止したことで、会員非会員の区別をつける必要性もなくなりました。

 会員非会員を問わず、年齢を問わず、国籍を問わず、障害の有無を問わず、ねこの手を居場所としたい人達が集まって、気遣い合って、楽しく過ごすという時間が続く事がいかに貴重であることか・・。多くの人達のねこの手に寄せる気持ちがある限り、一生の会ねこの手ハウスは続くでしょう。ゆるく、臨機応変に、より楽に成り立つ道を求めて、ねこの手風に。
 自立支援の会グループねこの手代表 山口百合子

2015年には前田さんが亡くなりました。
 前田さんはねこの手オープンから間もなくして関わってくれだした方です。最初は私が慣れない数字との格闘をしているのを見て、専門ではないですが、できる範囲でやりましょうか?と申し出てくださって、コントラクトブリッジを長年やってきたので、同好会を作りたいと言ってくださって、ご自宅が上大岡駅の裏という近くにあったこともあり、殆ど毎日のように会計作業のためと、ブリッジのためと、その後運営委員会参加のために来店。脳トレエスペラントにもどっぷり、ハーモニカ同好会にも参加され始めた頃が前田さんにとっても全盛期かもしれません。
 お子さんがいらっしゃらないこともあり、ご夫婦二人の老後の事を考えて、マンションを売却され、遠方の若葉台の介護付き有料老人ホーム?に引っ越された事もあったでしょうが、加齢とともに身体の不調も実感されて、会計と副代表の役割は降りたいと言われて、徐々にセーブされ始めたと感じました。それでも、月一回の運営委員会と月三回のエスペラントと毎週一回のコントラクトブリッジには出て来られました。亡くなる一年前か半年前でしょうか、首がしんどいと言われて、夜のイベントには参加されなくなりました。しんどいと言われながらも、毎回二時間かけてでも、来たいと思われる程、ねこの手の存在は大きかったのだと思います。ねこの手にとっても、彼の存在は大きくて、今でもたびたび思いだします。
 彼の例を見ても、体調や状況に合わせて徐々にねこの手との関わりを変えていかれているのがわかります。
ねこの手と関わってくださっている間、彼もきっと楽しかったと思いますし、ねこの手にとっても見える物見えない物の置き土産を沢山残してくださったことで良かった良かったと思いたい。
山口百記

先月24名の参加者があったので小会議室の定員が24名だし、関さんに次回空いていたら中会議室をとってもらわねばと話していました。

歌声の後の談笑タイムが和むようにこぼれないお菓子も24人以上分用意しました。

談笑が進むように、6人ずつの島を四つ作りました。

蓋を開けてみると参加者は17名でした。

関さんの操作で伴奏が流れましたが、皆さんが歌い始めるまでお喋りがなかなか止まりませんでしたが、間も無く歌声が一つになりました。この調子で良いかと。

先月休まず歌って疲れたので、今回は少し休憩を入れようと話していたように、良いタイミングで休憩を入れてくれて、再スタート。となると、またお喋りが止まりませんが、その内歌声が一つになりました。この調子で良いかと。

約1時間歌ってオヤツタイム。豪華なオヤツと宣言して、ミニ菓子二個。それでも美味しい美味しいと言ってくれて良かった!

皆さん談笑でもりあがりましたが、談笑タイムになったらすぐ二人で帰った人もあり、もう少し歌った方が良かったかな?

2時半には帰り支度をはじめたし。

新体制になって間がないので、思考錯誤が続いていますが、そのうちパターンが定まるでしょう。

帰りは二手に分かれて桜を見ながら。

去年のこの頃は、桜を見ながら毎日ねこの手ハウスに行ったり帰ったりしたっけ。

今年は今日突然桜が満開を見る感じです。

山口百記

今から25年前、浅井さんから家を借りる事ができるようになり、ねこの手ハウスの名前も決まって、さて賃金を払う場にするかどうか運営委員会で話し合いました。
何件か見学に行き、参考にして入会金と月会費をいただくことにはしましたが、当時は講座も一件しかありませんでしたし、山口宅を拠点にヘルパー活動はしていましたが、収入源があいまいで、ひとまず無償の場として、10名位の運営委員が当番として毎日運営に関わっていましたが、何とか収入を得なければと考え、頑張って200万いただける助成金をゲットすることができました。それから皆さんの気持ちが前向きになったのがどれだけ嬉しかったことか。
 その後茨城の生産者鈴木良一さんが、野菜を売ってはどうかと提案してくれたり、手作り品を置かせて欲しいと言う人がみえたり、手作りケーキを売ろうとか、ランチを作って売ろうとなり、関わってくれる人が徐々に増えていきました。
無償の場ですから、楽しんで関われる事を第一に考えました。
最初、有償の場と決めていたら、25年も続かなかったかも知れません。他の有償ボランティアの会では、一円でも多く欲しいと言う人が集まってトラブルがおきていると代表の方が言っていたものです。
ねこの手ハウスは誰にも居心地の良い場を目的にして、その旗の元集まって来る人達とトラブルがなく長く続いてきたのだと思います。
今回、ねこの手ハウスが無くなって、初めて同窓会とミニコンサートを開催しますが、参加費無料でランチが出る事を気にかけてくださる方が多いのですが、人件費なしで運営してこれた事、ねこの手ハウスを維持していくつもりで準備していた改築修繕費や、高額の電化製品の買い換え費用などがありますので、後何回か同窓会が楽しめますので、安心してください。
できるだけ多く同窓会に参加できますように、元気で長生きしましょうね。
山口百記

ねこの手ハウスを借りる前ですから26年前でしょうか?山口宅を拠点にしてできる活動をしていました。
今は徳島に住む岡本夫妻が金沢区に住んでいました。岡本喜代子さんが宮沢賢治の故郷訪問を計画してくれました。7名の参加でした。
その頃酷い水虫に悩んでギリギリまで参加をためらっていた人も決心して参加。
今は亡き小林さんは宮沢賢治が大好きで、一番楽しみにしていたかも。
出発当日、上大岡駅で待ち合わせましたが、一人時間になっても現れず、横浜駅で集合と間違えたかもと、横浜駅に行って探しましたが見つからず、諦めて予定の電車に乗りましたが気持ちはモヤモヤ。
確か東京駅に着いた時でしたか、彼女がいた!どれだけ感激したか!彼女は1時間間違えて早く上大岡駅に着き、誰もいなかったので遅く来たから置いていかれたと勘違いして東京駅まで行ったそうで。諦めていたので、会えてどんなに嬉しかったか。
その後は順調で、喜代子さんのプランに沿って牧場で牛を触ったり、素敵な宿に泊まったり、合掌造りの家を見たり、宮沢賢治記念館?を見たりを楽しみました。
記念館の閉館時間が早くて駆け足で見た記憶が。賢治はエスペラントを勉強していて、彼の書いたエスペラント日記を見て、感激。
駅のプラットフォームにエスペラント名で書かれた花巻線の駅名が貼ってあったので、感激して騒いでいると、カーテンが閉まっていた駅事務所から駅員さんが出て来て、その手には駅名が書かれた花巻線の路線図が!銀河鉄道と書かれていました。
皆さんに配ってくれてまたまた感激!地元では宮沢賢治とエスペラントって繋がりが深いんだなと実感。
楽しかったので、またツアーやりたいねと喜代子さんが言ってくれて、皆んな喜んで賛同しましたが、ねこの手ハウスを借りてからは、ゼロからの出発でしたから、次々にやりたいことが出てきて、談笑ツアーが実施できたのは10年後くらいだったでしょうか?
山口百記

これも随分前の話しです。
初めてねこの手ハウスに来店された男性が、ここはどこの国の人でも来て良いのかと聞かれます。変なことを聞く人だなと思いつつ、誰が来ても良い場ですと伝えると、自分は北朝鮮からどうのこうのと言われます。北朝鮮の人なのか、北朝鮮に住んでいたと言うことなのか。心臓の手術をして退院したばかりとも言われたような。
それから毎日のように来店されて、ウィリングで開催した総会にも出席されました。意見を言ってくださるので、よく彼を指名したものです。
そう言えば、港南区で開催された何かのイベントのパネラーとして推薦して、ちゃんと意見を述べられたと聞きました。

ねこの手ハウスの前に置いたテーブルが朽ちてしまっていましたが、彼が杉田の自宅から、電車に乗ってテーブルの大きな板を持って来てくれました。これを持って電車に乗ったの?!

 彼は日記に自分の事を書いてくれ書いてくれとよく言っていました。お兄さんだか弟さんだかが新潟に住んでいて、いつも日記を読んで自分が達者だとわかってくれるからと言っていました。
そして、そのご兄弟がねこの手ハウスに来られたこともあります。今思うと新潟から来られたのに、歓待してあげられなかったと反省。
その後、あんなに毎日のように来店されていたとりさんが来られなくなり気にしていたら、くも膜下出血でしたか、大変な状況になられたと知り、ご兄弟にメールして詳しく聞いた記憶があります。
新庄さんが杉田のとりさんの家を時々見に行ってくれて、まだ表札がかかっていると何回か報告してくれましたが、そのうち表札が無くなっているとの報告をうけました。
いつもニコニコ穏やかな方でした。あのご兄弟はお元気なのでしょうか?
山口百記

これも何年も前の話です。大柄で腕にジャラジャラアクセサリーをつけて、派手な服を着た坊主頭の男性が来店されました。
看板に自立支援の会と書いてあるが、職を紹介してくれるのか?と言われるので、それはないけど、精神的支援よ、と内心ビビりながら答えました。その答えを聞いてもう来られないかと思いましたが、間も無く再来店されて、ギターを2本くれると。ありがとう!と喜んでいただきました。その後のギター教室で役に立ちました。
それからも時々来店されました。聞くところによると、アルコール依存症から立ち直って7年?と言われたか。持参の小冊子のカバーを作ってほしいと言われ、縫い物上手の誰だったかに作ってもらいました。薄っぺらい冊子になぜ?と意味不明だったのですが、よく聞くと、アルコール依存症から立ち直った人のためのバイブル?のような冊子で、とても大事な物でした。
家がねこの手ハウスの近くだったようで、度々来店されました。居酒屋ねこ助をやっていた頃で、参加したいと言われるのでアルコールを口にされるのではないかと心配しました。
若い男性と一緒に参加されましたが、お二人共一滴も飲まず、料理を食べ、他の参加者にお給仕を一生懸命していました。
その後もその若い男性は二回くらい来店されたでしょうか、それきり来られなくなったので
聞くと、あいつはダメだと。立ち直りかけていたのにアルコールに戻ったのだと察しました。
その後も若い女性を連れてきたことがありましたが、続いて一緒に来店されることはありませんでした。アルコール依存症から立ち直るのは難しい。

ある日、可愛い子犬を連れて来店。そのワンチャンの名前がりょうくんと言うので、彼の事をりょうくんのお父さんとよぶようになりました。
そのりょうくんと一緒に来店されなくなり、聞くと散歩中車に轢かれて死んだと!ショック!

昔話をいろいろ聞きました。横浜球場の側でホームレス生活をしていたら、寿町の会に声をかけてもらって、アルコール依存症から立ち直れたと。
その後亡くなった小林さんの知り合いでアルコール依存症の方達を支援しているUさんがねこの手ハウスにたまたま来られる機会があり、りょうくんのお父さんを見て、別人かと思う程、表情が穏やかになっていると驚かれていました。

その後彼は西区だかに引っ越しされて、そこにねこの手ハウスのような場を作ると言って張り切っていましたが、アルコール依存症から立ち直ろうとしている人達対象の居場所なので、なかなかうまくいかなかったようです。
引っ越しされても薬をもらいに弘明寺の医者通いをされていたので、何回か来店されましたが、コロナ禍頃からでしょうか?来店されなくなり、電話も通じなくなりました。
閉店頃来店されたので、もっと早くおいでよと言ったのが最後だったような。
お元気でしょうか・・
山口記

毎月の外ランチのお知らせをラインで流すとかなり早く次々と申し込み希望が入るのですが、今月は出足が鈍く、お好み焼きに人気がないのか?次回からは会場を削除した方が良いか?と思っていると実施日に近くなり、次々申し込みがあり、定員の18名に達しました。
ホッとしたところに、家庭の事情でキャンセルとか、体調不良でキャンセルとか、次々と。何人かに声かけしましたが、最終当日17名。キャンセル料を払うと言ってくれる人もいましたが、キャンセル料はかかりませんでした。
日本酒を飲む人あり、確か彼女は92歳。ビールを飲む人数名。三種類のお好み焼きを三等分して次々と持って来てくれます。お店の人達皆んな感じ良い。料理の美味しさと、店の感じ良さが大切。
15日に上海に帰る芳子さんが12月に帰って来たら電話すると言っています。12月の外ランチで会えるかも。
今回は男性の参加者は遠藤さんだけでしたが、これまでねこの手飲み会に参加していて亡くなった男性を数えました。
斉藤父ちゃん、阿部さん、岩井さん、佐々木さん、岩木さん・・・
芳子さんのお連れ合いは日本人で、ねこの手ハウスが無くなっても、ねこの手繋がりの友達が沢山いるから良いねとわかってくださってる。
帰りは本間さんがどこに行くの?と聞きます。確かに先月の外ランチの後は二次会に行きましたが、今回は店を出たら散会。雪の降りそうな寒さでした。
来月は外ランチなしですが、ミニコンサートと同窓会があり、オードブルが出ます。
楽しみは続きます。
山口百記

弘明寺観音の庭に沢山のイチジクがなっていて、いつも八の日に観音様にお参りに来ていた彼女が、ビニール袋頂戴!と言って飛び込んできて、袋を渡すとイチジクを沢山もらってきてくれました。
言動が過激で、中学生が庭にゴミを投げるから学校に怒鳴り込んだとか、継母の事を罵ったり、言いたい放題で疲れる人だなと思っていましたが、ある日
厨房にひとりでいると、覗き込んで、私は虫けらみたいな者だから、一番に死んだ方が良いとかなんとか言うのでビックリしました。言いたい放題じゃなかったんだ!周囲の仕打ちに傷ついていたんた!と気づいてハッとしました。
その頃お金がないから家を出なくちゃいけないと悩んでいる様子でした。ねこの手ハウスの人達は彼女を何とか受け入れてくれていましたが、よそに行ったらどうなるだろうと考えてしまいました。
自分は重すぎて背負いきれないけど、観音様つながりの人に頼めば何とか動いてくれるかもと思って、彼女を医者に連れて行くように頼みました。それで、初めて障害者と認定されて家を出なくて済むことになりました。
親にいじめられたとか、継母にいじめられたとか聞いていましたが、昔は今のように障害が認識されていなかったので、彼女の言動が理解できず辛くあたったのでしょう。
イチジクさんは居酒屋ねこ助の常連さんで、毎月とても楽しみにしていたようです。毎回ハムやピータンを安く仕入れて来て、皆さんに振舞ってくれました。ただ時間を読む事が苦手で、皆さんが帰り始めた頃、急いで切って、食べて行って!と引き止めるので、皆さんが帰る前の時間を伝えてみましたが、なかなかうまくいきませんでした。
皆さんを喜ばせようと、ギンナンを沢山拾って来てくれたり、蕗のとうを沢山採ってきてくれたりしました。彼女は博学で、天文の話、恐竜時代の話、歴史の話など、話しだすと止まりませんでした。

この頃彼女の一番幸せだったころかも。
その後、彼女の障害から来るトラブルから、ねこの手にしばらく来れなくなりましたが、電話は時々かかってきて、私が大病になったと知って、弘明寺観音に呼び出して、川崎大師のお札とお餅をくれました。障害のせいで生きづらい人生を歩んできたけど、嘘のない優しい人だと思いました。
ねこの手ハウスが無くなると伝えたら、ねこの絵の椅子が欲しいと言うのでさしあげました。
その後電話がありませんが、元気でしょうか?あの椅子を毎日見て思い出しているでしょうか?
山口百記