今でこそ日本国内の博物館でも幾つか、というかそこそこ多くの
恐竜の実物化石全身骨格標本が有りますが
(勿論大して恐竜化石の産出しない国では、という意味です)
かつて日本で恐竜の化石など見付かってもおらず
恐竜の実物化石骨格標本マウントなど存在しませんでした。
(サハリンで発見されたニッポノサウルスの標本はありましたが、当時は展示用のキャストレプリカマウントも造られてはいませんでした)
現在16体もの恐竜のマウント標本を展示している国立科学博物館でも
昔は縮小されたアーティファクトの骨格オブジェや、成体復元モデルがあるだけだったそうです。
そんな日本にも1964年、ついに恐竜の実物化石を使って組まれた全身骨格マウント標本が展示されました。
それが現在も国立科学博物館の地球館1階の地球史ナビゲーターホールに展示されている標本番号NSM PV 1644 アロサウルス・フラギリスの骨格標本です。
頭部は別の個体のキャストレプリカですが、アロサウルスのまともな頭骨化石は
アロサウルス化石標本全体の1割ほどしか発見されていないレア標本なので仕方ありません。
NSM PV 1664標本は、1960年代にアメリカのユタ州のモリソン累層で
東ユタ大学の発掘チームにより発見されたアロサウルス・フラギリスの化石標本が使われています。
何故この標本が日本で展示される事になったかというと
当時ロサンゼルスで日本語学校教師やホテル経営などをしていた小川勇吉さんのおかげなのです。
小川さんは地質学研究と化石の発掘を趣味としている人物でした。
たまたま日本に帰国した際に、小川さんは日本に恐竜の骨格標本が1体も無いことに気が付きました。
アメリカで実業家として一定の成功を修め、人生の晩年を過ごす今、何かしら祖国への貢献がしたい。
そして日本の子供達に、本物の恐竜の化石標本を見せてあげたい。
そんな気持ちに駈られた小川さんは、1960年からユタ州のクリーブランド・ロイド採掘場で「ユタ大学恐竜発掘計画」(資金提供をした国の博物館に全身骨格を1体ずつ配る計画)が実施されることを知り、
日本の子供たちに見せるために恐竜1体分の発掘・輸送・組立て費用として
自腹で発掘資金を出資しました。
そして1962年に発掘されたアロサウルスの骨格化石を入手し、その全身骨格標本を国立科学博物館に寄贈しました。
クリーニング終了後の1964年(昭和39)4月14日から12日間にわたり、来日したアロサウルスの専門家ジェームズ・マドセン(James H. Madsen Jr.)が指導してマウントが組み立てられ、展示される事となったのです。
また小川さんは晩年、鹿児島県出身の画家八島太郎氏の美術研究員となり絵画修行をしていました。
そして化石収集を故国子弟の教育に資せんと発意するに至り
鹿児島県立博物館分館にも、アロサウルスとカンプトサウルスの実物化石標本及びプライベートコレクションの化石標本全てを寄贈しました。
小川さんはこれ等3体の恐竜化石の入手費用捻出のために、保有していたホテルを売却したそうです。
(保有する全てのホテルの経営権を売却したとも言われています)
この旧館エントランスホールに展示されていたアロサウルスの標本ですが
1973年にタルボサウルスのキャストに展示が変更されました。
(1990年にマイアサウラの実物化石を含むマウントも追加されました)
そして2005年にアロサウルスは常設展示から外されました。
(現在は展示リニューアルに伴いタルボサウルスとマイアサウラは常設展示から外されています)
その後は日本各地の博物館や恐竜展を巡る巡回展示ツアーの標本として活用されていました。
(一時は科博でも期間限定展示もされていたのですが)
画像は仙台市科学館での震災復興企画展でのものしかし2015年の展示リニューアル時に常設展示として復活し、現在に至ります。
国立科学博物館を訪れ、アロサウルスの標本を観る機会があれば
かつて小川さんという立派な先人が居られたという事にも
少しだけ思いをはせてみて下さい。
画像は帰ってきたアロサウルス展でのもの
まだ旧復元のままの時



