古典落語:可能性と汎用性 | 硝子の中年のブログ

古典落語:可能性と汎用性

  昨日のNHKの番組「趣味どきっ!」は江戸落語を特集。

全8回の最終回。

アナウンサーが進行役、解説は春風亭一之輔、ゲストに関根勤、池田瑛紗。

テーマは「摩訶不思議、世にも奇妙な噺」。

怪談噺も登場するが、正統派ではない怪談の演目も。

  一席目は「死神」

落語中興の祖、三遊亭圓朝の作。

1975年の三遊亭円生の高座の映像を見ながら、要点の説明がされる。

金がない、冴えない、愚痴ばかり言う男が往来を歩いていると、死神に声をかけられる。

医者になるように、そそのかされる。

仲間の死神が長患いで寝ている病人の足元にいれば、未だ寿命があるから、教えられた呪文を唱えると、死神は消える。

そして、患者は即座に回復して元気になる。

家族から感謝されて、お礼の金を受け取れる。

  逆に死神が枕元にいる場合は、寿命が無いから何をしても無駄だから諦めて、その場を離れろ、と諭される。

しかし、主人公の男は死神の教えを破って、逆らって、枕元の死神がうとうとしている隙に、屈強な若者4人に目配せして、寝ている布団を瞬時に180度回転させて、さらに呪文を唱えて、死神を退散させる。

そして、この大きな商家の主の身内から、お礼の大金を手にする。

  その後、初めの死神が現れて、男を洞窟のような場所に、男が体の自由が奪われるような形で強引に連れていく。

そこで、究極の仕置きが行われる。

今にも消えそうな男の命のロウソクに、別のロウソクを近づけて炎を繋ぐことができれば、死なずに命は伸びると死神は語る。

火は繋がらず、男は息絶える。

これが、あらすじ。

  この噺は演者が多い。

番組でも、柳家小三治、立川志の輔、立川志らくの映像が短く紹介された。

他にも立川談志、橘家円蔵、三遊亭円楽、柳家喬太郎、笑福亭鶴瓶などが演じている。

サゲも演者によって、工夫がなされて多様である。

私的には、この演目は好きではない。

理由は、この男は愚痴をこぼしていただけて、死神に取り付かれる必然性がない。

後ほど、死神の言うことを聞かずに、姑息で邪道な行為に及んだが、発端としては取り付かれる謂れがない。

  したがって、その部分での不自然さや説得力に欠けるという心象がある。

まあ、すべての演目で完璧に筋立てが構成されている訳ではないから、杓子定規に捉える必要もなく、楽しめれば充分だが。

滑稽噺だけではない、落語の奥深さ、含蓄を感じてもらえれば正解と言えるだろう。

  因みに、もう一席は「あたま山」

林家正雀の映像で紹介されていた。

この噺は比較的短い演目だが、ナンセンスとシュールを足したような筋立てであり、新作落語的でもある。

勿論、古典の噺なのだが。

星新一のショートショートのような演目とも言える。

そのくらい自由度の高い、発想力と展開力で遊べる落語と言えるだろう。

脳内で浮遊できるような一席か。

演者に依って、カスタマイズできる演目かもしれない。

  私がプロデューサーで、決定権があると仮定したら、「一眼国」と「もう半分」を最終回の企画に選んだと思う。

「一眼国」は猿の惑星のような設定の噺である。

オチが鋭く、全体はシュールであり、不気味でダークサイド的な雰囲気を醸している。

勿論、ハッピーエンドではない。

  「もう半分」は金に目が眩んだ居酒屋の夫婦が、飲み過ぎて置き忘れた、客の年寄りの大切な金を知らぬ存ぜぬで追い返し、奪って挙句に恐ろしい祟りが及ぶ、という因果応報の一席。

これは古今亭志ん生の十八番、秀逸な口演が音源として残っている。

これも圓朝の作である。

他に古今亭今輔、金原亭馬生、桂米助、五街道雲助なども演じている。

これらの演目は初心者向けというよりは中級者向けかもしれないが、落語という演芸の内容の濃さ、芸能としての質量と多様性を感じてもらえれば、木戸銭に値すると思える。

因みに正統派の怪談噺とは「牡丹灯篭」「真景塁ヶ淵」「江島屋騒動」「乳房榎」などだろう。

  落語は究極のアナログの芸である。

現下のAI万能かつ盛況の時代に噛み合うか、逆風か。

行く末を見届けることなく、私も冥界に疎開するので。

衰微しないことを願いたい。