踏切事故と解決策 | 硝子の中年のブログ

踏切事故と解決策

  横浜市鶴見区のJRの踏切を廃止する、というニュース。

市長がプレスリリースしている。

通常は鉄道の高架化または地下化で、踏切の廃止となる。

近年では小田急の下北沢駅の事例が知られているが。

しかし、本件では自転車も入るエレベーターを設置して、変則的な歩道橋として整備して、解決に繋げるという構想。

地元は反対の意思表示が多いようであるが。

  これまでの踏切の両側の道路が行き止まりの形状になる、としか理解できない。

これは殆ど最悪の選択肢では?

従来の車両の交通量を迂回路で捌くことが可能なのか。

より酷い渋滞になる可能性が高い。

緊急自動車の通行を考えた場合も拙劣と言わざるを得ない。

専門家に委託して、あるいはプロポーザル方式で得た結論とは思えない。

  周辺全体の道路網を交通工学的に解析して、判断しなくてはならない。

今は昔と異なり、AIも活用できるから、ベストに近いプランの提言が得られるはず。

この踏切は横断するのに45メートルの長さがあり、直近では9/29にベトナム人が亡くなっている。

そして今回の事故を含めて、計4件の死亡事故が発生している。

条件的に危険であることに疑問の余地はないが。

これが緊急避難的な措置なのか、数十年の単位で固定化するつもりの計画なのか。

  やはり、これまでの多くの「開かずの踏切」で実施された、地下化または高架化の手法しかないと思える。

勿論、時間はかかる。

短くても25年、長ければ30年以上は覚悟しておく必要があるだろう。

街づくりとか、都市計画とはそういうものである。

街づくりとは個人の不動産の権利を移設・移転する手法である。

そのためには、行政もトップの不退転の決意が求められる。

  街としてのグレードが低くなっている、という認識が実態として好転できないのであれば、極力早期に抜本的な方針と計画を示して、住民の合意形成を図らなくてはならない。

時間の経過や推移は「光陰矢の如し」の例えもあるが、それは20世紀までだろう。

今は「光陰超音速の如し」が正しい捉え方と言える。

  しかし、残念ながら総論としての隘路がある。

言うまでもなく、マンパワーの不足であり、枯渇と言える。

少子高齢化は勿論、土建の現場に携わる人材が少なすぎる。

再三指弾するが、国策として断行してきた、ヘッドワーク・デスクワークを重点的に強化して日本を牽引するというベクトル。

このために、直近の大卒は昭和の終わりの頃と比較して、2倍以上になっている。

勿論、偏差値の極めて低い、超三流大学を粗製乱造してきたからに他ならない。

だから、エセンシャルワーカーが圧倒的に足りない。

路線バスさえ廃止や減便になる。

論外。

  文科省の愚劣極まる邪道。

その無能と無責任。

凄絶な国益の棄損に直結した。

この罪、万死に値する。

恥を知れ。

  また、これも繰り返し全否定するが、東京一極集中が酷過ぎる。

飽和状態の肥満体であり、醜悪な動脈硬化を起こしている。

様々な都市問題が、公害が噴出する。

スケールメリットこそが正義かつ正解とする、小池を筆頭とする恣意的な単細胞。

銭儲けこそが、唯一無二の、優先順位が常にトップの命題とする、政治ブローカーの団塊が仕切るこの国。

辟易する。

これも永田町を形成する、日本人の民度に帰結する。

日本の姿形、全体が歪んでいる