ピート・ローズ:巨星墜つ
ピート・ローズの訃報。
頑健なイメージだったので、意外である。
享年83歳。
病死だったと推測されるが、詳細は不明。
強靭な肉体で、ファイトあふれるプレースタイルだった。
腕の太さ、胸板の厚さが印象に残る。
勿論、生涯安打数4,256はメジャーリーグの最多安打記録であり、これからも破られることはないだろう。
当然、疑問の余地のない、殿堂入りに値する実績だが、果たせていない。
彼のキャリアのスタートはシンシナチレッズであり、フィラデルフィアフィリーズ、モントリオールエクスポスを経て、最後はレッズで現役を終えている。
1963年から1986年の24年間活躍した。
日本流に言えば「無事これ名馬」と言える。
レッズの監督も経験した。
その後、1989年に過去の野球賭博が錯覚して、永久追放の処分を受ける。
そして、生涯この汚名は晴れることなく、潔白も証明されず、処分も解かれることはなかった。
数奇な運命とも言えるし、自業自得とも言える。
1978年にレッズの一員として来日。
当時のレッズは全盛期で、ビッグレッドマシンと呼ばれていた。
名将、スパーキー・アンダーソンが率いて、他にジョニー・ベンチ、トム・シーバーなどの名選手を擁していた。
日本のチームとの対戦成績は14勝2敗1分。
昭和53年当時は圧倒的な力の差があったことが明瞭に分かる。
勿論、私も中継された試合はテレビ観戦していたが。
ローズのヘッドスライディングも印象深い。
因みに脱線するが、ヘッドスライディングは2塁、3塁は正解だが、1塁にする選手は頭が悪いというか、知能が劣等である。
ヘッドスライディングが速ければ、陸上の100メートル競技は全ての選手がスライディングするはずだ。
それを許しているコーチや監督も同列と言える。
ローズの醜聞の絡んだ個人史と人物像はこれからも廃れることなく、褪せることなく、語り継がれるだろう。
彼のようなパーソナリティーは極めてアメリカらしい、とも言えるが。
改めて、昭和は遠くなったと率直に感じる。
同時代の名選手として、サンディ・コーファックスに触れない訳にはいかない。
現在88歳。
ロサンゼルスドジャースの投手として、1955年から1966年が現役。
通算で165勝。
1963年にはサイヤング賞も受けている。
背番号32は永久欠番であり、殿堂入りも果たしている。
彼のラストイヤーの成績は27勝9敗。
この成績で引退は常識的には有り得ないが、極端な登板過多により、肘の故障が悪化して、痛み止めの注射をしていた状態だったため、選手生活にピリオドを打つ決断に至っている。
日本人選手との接点は「野茂や石井を指導したこともある」という経歴も感慨深い。
彼らのような伝説的なビッグネームが、メジャーリーグのロマンに我々を感情移入させる、大きな因子と言える。
因みにローズの首位打者獲得は3回、トニー・グウィンは8回、ロッド・カルーは7回と、スーパースターの列伝が並ぶ。
最多の12回はタイ・カッブだが、これは時代が極めて古く、詳述は長尺になるので、別の機会に譲りたい。
ローズの冥福を改めて祈りたい。
合掌。