令和のダンスは固定化?
インターネットのニュースで、千代田区立・麹町中学校のダンス部の部活動について、ヒップホップを不可とする指示が学校側からあり、生徒や保護者が反発し、教育委員会に抗議文が提出されている、という事態。
複数の角度から言及できるが。
これは過渡期なのかもしれない。
責任者である校長は、このカテゴリーのダンスに対して拒否反応に近い感覚で捉えていると推定できる。
主観と客観の狭間で、どこで着地点を見出して折り合いをつけるか、微妙と言える。
麴町中学校は我々の世代では、名門中の名門として知られていた。
番町小学校、麴町中学校、日比谷高校、東京大学が定番のエリート進学コースだった。
勿論、私立の教育機関は全く登場しない。
いわゆる学校群制度が実施されるまでは、揺るぎないパターンだった。
自他共に認める、疑問の余地のない、超優等生たちのコースだった。
過去の栄光を振り返り、少しでも復活させたい、というOB・OGの熱意が、志向が影響していても、不思議ではないと思える。
見果てぬ昭和の残滓かもしれないが。
文武両道とは乖離する、遊びの延長線の部活に時間を費やす傾向は縮減させたい。
これが本音かもしれない。
文科省は学習指導要領の中学保健体育科の資料の中で、創作ダンス、フォークダンスとともにヒップホップは現代的なリズム表現のダンスと記されているらしい。
私は素人なので、だから何なのか?
ヒップホップを推奨する、という意味なのか?
そもそも、文科省は風潮や時流に、人気に迎合し過ぎでは?
また、現代的なリズムの表現という定義なのに、なぜフォークダンスが挙げられている?
説得力も合理性もゼロ。
矛盾でしかない。
つまり、従来の既得権を排除することはせず、誰も傷つかない到達点で収束させようとしている。
姑息過ぎる。
再三指弾するが、文科省は偏差値が極めて低い、超三流大学の粗製乱造を強力に推進してきた、国の基盤を棄損してきた、無能かつ邪道の役所である。
昨今の雇用と就労の歪みと齟齬の張本人である。
彼らの企画立案や構想など、1ミリも信頼に値しない。
法科大学院制度の導入と失敗における、無能と無責任は論外と言える。
辟易する。
ヒップホップは体育の授業の必修科目として採用する、という意味なのか?
我々の時代は「正課」という用語があった。
今でも使われているか、知らないが。
例えば高校だが、母校では柔道は正課だった。
現代で柔道を正課にしている学校は少ない、いや殆ど無いだろう。
つまり、校長の裁量権の範囲と考えられる。
若しくは教育委員会の意思決定に基いて、採用・不採用の判別が行われるはず。
自治体によって当然、異なるだろうが。
部活も同じ延長線と言える。
前年まで何も問題なかったのに、何故という反発もあるだろう。
逆に言えば、ヒップホップが絶対的に価値がある、絶対的に正解という根拠もない。
社交ダンスや日本舞踊と比べて。
クラシックバレエと比べて。
フラメンコ、ハワイアン、タンゴなどと比べて。
多様性や自由度を許容することが現下の趨勢だが、生徒の趣味嗜好が最優先される訳ではないことも認識すべきだろう。
それが優先されるのであれば、音楽の授業の教材もバッハ、モーツアルト、ショパンなどは全く対象外となる時代が間もなく来るだろう。