書店復興は虚しく、没落へ
昨日「書店振興プロジェクトチーム」の車座ヒアリングが千代田区の日販で開かれた。
これは経産大臣直轄の企画である。
政府からは経産大臣、文科大臣、外務大臣が出席した。
民間からは直木賞作家の今村翔吾が出席。
しかし、本来であれば大手の出版社とか、日本ペンクラブなどから代表または代理が参加してもおかしくないはず。
つまり、この企画が絵に描いた餅と判断できるか、または実効性を伴わない、あるいは書店の復興を彼らが諦めている可能性さえ感じる。
外務大臣は役所の事務分掌上の規定では無関係だが、ご本人の私的関心事で参加したらしい。
この参加自体を否定するつもりはないが、むしろ官房長官が出席すべきでは?
官邸の大番頭として、主管する省庁の大臣を差し置いて、記者会見に臨む機会が多いのだから。
結論からして、単なるポーズと言える。
努力目標というか、スローガンだけ文言を決めて、それで終わりになるだろう。
その意味では「北方領土を返せ」とか「北朝鮮拉致被害者を返せ」と同列のアドバルーンと言える。
新聞の記事では全国の1/4の自治体に書店がない、と記されている。
自治体という言葉の定義が曖昧で不明確。
市区町村という文言にすべき。
この点は記者の文章能力を疑う。
以前にもブログに何度か私見を綴っているが、現代の日本では複数の明らかな斜陽産業がある。
デパートと銭湯が代表格と思っていたが、書店も加えてトップスリーと言えるかもしれない。
それぞれに歴然とした理由がある。
書店については、昭和の終わりの頃から、活字離れというキーワードが認知されていた。
そのためにフィクション、ノンフイクションを問わず、書籍の売り上げは低落傾向で推移していた。
並行してインターネットも普及して、即時性をもって情報を得られるようになり、連動して新聞の購読者も減って、ますます活字離れが加速した。
つまり、社会全体の趨勢が書店という業態には強い逆風となっている。
若者の自遊時間や余暇活動はインドアの占める割合が増えているが、それは読書ではなく、漫画やアニメやゲームなどに費やすパターンとなっている。
都内の電車に乗ると、概ね3/4の人間がスマホの画面を見ている。
つまり、スマホ中毒患者である。
若者では99%が見ている。
これらの環境や付帯状況において、彼らの志向において書店の数が減る事態に歯止めがかかるはずがない。
さらに、神保町の古書店で扱うような、1点ものに近い書籍はともかく、普通の書籍は通販で購入できる。
書店の反転攻勢は残念ながら、起こりえない。
活字を見ないから、ディベート能力も落ちるはず。
そして、政治的偏差値も低くなり、日本の常識はガラパゴス化する。
平和ボケが進み、選挙の投票率も極めて低い。
これが日本人の縮図である。
悪循環と言えるかもしれない。
書店は例えると、印鑑と同じ宿命と言える。
文書のデジタル化に伴い、印章を押す書類が役所の申請書でさえ減っている。
いかに、ソフトランディングさせるか、という点に意識を、観念を移したほうが賢明だろう。