大阪の噺家が鬼籍に
大阪の噺家、桂ざこばが死去。
大阪ではなく、上方と言う方が正解か。
享年76歳。
人間国宝だった、桂米朝の弟子である。
今頃は冥界で師匠や兄弟子の桂枝雀と再会しているだろうか。
師匠とは芸風が異なる。
それが望ましい。
師匠に似ていては、意味が無い。
それでは師匠の影武者で、模倣で、亜流で終わる。
師匠は大阪人のイメージとは違う、柔らかな口調、口跡の落語家だった。
東京人の偏見かもしれないが、大阪人のイメージは阪神大好き、マシンガントーク、そして豹柄の品の無い服を着たオバちゃんである。
東京の落語家でも師匠の口跡に極めて近く、これは相似形、同心円だなと思える噺家もいる。
例えば、故人だが三遊亭円窓が該当する。
師匠の円生の影響が強過ぎたのかもしれない。
それを拒絶するところから、本物への道程が始まる。
個性の確立である。
孫弟子だが、三遊亭鳳楽も同じパターンである。
突然変異の如く、全く違うタイプの噺家に育つケースが面白い。
今、桂文枝が上野の鈴本で、昼席のトリを10日間とっている。
春風亭小朝の橋渡しで。
本来は有り得ない番組だけど。
それでなくても、落語家が多過ぎて、高座の出番が回ってこないので。
寄席では「番組」と言う。
当日の演者と演目の順番、そのプログラムを指して。
前座が楽屋でネタ帳に書き留める。
たぶん、訃報を受けて文枝は号泣では?
彼は涙もろい人だから。
情に厚いとも言えるが。
談志が亡くなったときも、交流があったとはいえ、大泣きしていたので。
東京と大阪だから、密度は濃くはなかったはずなのに。
私的には東西の交流は活発かつ盛況であって欲しい。
東京の演目にも、元々は上方の噺が相当数あるので。
勿論、漫才が主流の大阪に、東京の落語家がアウェーの如く乗り込むことも必ずプラスに作用する。
本人にとっても、寄席の世界としても。
マンネリや予定調和を打破するためにも。
東京では四谷怪談は落語の演目としては禁忌のために演じることは無いが、逆に大阪の噺家で演じた人もいた。
露の五郎である。
2009年に享年77歳で亡くなったが。
やはり、どの世界でも牽引する人、起爆剤のような人が必要。
大阪の落語専用の寄席は繁盛亭だけだったが、動楽亭も加わった。
東京にも落語専用の寄席があってもいいのでは?
東京でも協会が寄席のオーナーとして、主催者として運営する方針を検討し、模索すべき。
物件は賃貸であっても。
現行の寄席との関係性は微妙ではあるが。
新しい志向と試行のために、所属する落語家から上納金を取ることも許容範囲?
クラウドファンディングは安易安直であり、禁じ手かもしれないが。
奥の手は残しておくべきだろう。
これからも定点観測したい。
最後に故人の冥福を祈りたい。
合掌。