魚離れは苛烈な奔流に | 硝子の中年のブログ

魚離れは苛烈な奔流に

  日本人の魚介類の年間消費量が過去最低を記録。

一人当たり22㎏という数字。

複数の要因と背景があると推測できるが。

記事では主な理由として下記が挙げられている。

1. 家族が肉を欲するから

2. 魚介類は価格が高い

3. 調理が面倒

  この中で、2については、客観的な根拠に基づく回答ではなく、初めに結論ありきで後付けした理由と思える。

肉も魚介類もいずれもピンからキリである。

比較する対象に依って全く違う。

A5ランクのシャトーブリアンと江戸川の河口で獲れたハゼでは雲泥の差と言える。

逆も同じく。

黄色いタグの付いた越前ガニと鶏のモミジでは横綱と序の口くらい違うだろう。

  3の理由も料理のメニューに依って違うはず。

鯛を一匹買って、三枚におろす段階からやれば手間暇がかかるかもしれないが。

しかし、昔から魚は切り身で売っているし、様々に加工された状態でも売られている。

冷凍、燻製、缶詰、干物など。

具体的にはツナ缶、カニ缶、サバカレー、スモークドサーモン、さつま揚げ、蒲鉾など多種多様。

魚肉ソーセージもある。

真空パックの鰻の蒲焼も、電子レンジで温めるだけで食べられる。

鰹のたたきも真空パックを通販で買える。

  逆に肉でもジビエを食材として調理すれば、相当の手間暇がかかる。

素人では殆ど無理だろう。

一般的な肉料理でも豚の生姜焼きは比較的簡単だが、煮込む料理は容易ではない。

自宅でロールキャベツは難易度が高いだろう。

したがって、3の理由も弱い。

  日本人の食卓が戦後に西洋化して、肉食が大きく増進して、その傾向は令和の現在も続いていると推定できる。

また、炭水化物との組み合わせも無視できないだろう。

肉の惣菜は白飯でもパンでも不都合はない。

例えばハンバーグでも、フライドチキンでも。

しかし、魚の場合はパンとの組み合わせは限定される。

鰤の照焼き、鮭や秋刀魚の塩焼き、鯖の味噌煮、鰆の西京焼、鰺の開きとパンでは絶対に合わない。

鱈や鮟鱇の鍋でもパンが供されることはない。

勿論、鮪や鯛の刺身でも。

海老フライ、蟹クリームコロッケ、舌平目のムニエルなどであれば、OKだが。

この点では肉食が優勢な傾向は否定できない。

  そして、最大の要点は地球温暖化による海水温の上昇で、肝心の漁獲量が減っている現実である。

烏賊の漁獲も決定的に減っている。

桜海老は乱獲が影響していたようだが。

いずれにしても、連動して漁業・水産業に従事する人口も減る。

  この事態は再三指弾するが、国策により偏差値の極めて低い超三流大学を粗製乱造してきた、無能で不毛な失政にも大きな原因があるが。

ホワイトカラーの割合が増えれば、ブルーカラーの衰微は軽視しても全く問題ない、という醜悪な邪道である。

狂っている。

国益を棄損する。

ミスリードというような次元ではない。

浅学だから、中庸という言葉も知らないのだろう。

  これらの状況が好転しない限り、悪循環であり、いわゆる魚離れは加速するだろう。

民族固有の食文化が変容する。

全方位的に海洋に囲まれた島国の特長と恵みだったのに。

次世代に残せる文化の半分は絶滅危惧種となるかもしれない。