ゴシックから映画のロマンは明日も | 硝子の中年のブログ

ゴシックから映画のロマンは明日も

   昨日の番組で「ゴシック」という単語について、語られていた。

サブカルチャーとしての説明であったが、我々が連想する、サブカルのイメージとは違う。

漫画、アニメ、コスプレなどを総称する、単純な用語ではない。

発端や経緯を含めて、すでに古典的な言葉として成立している。

語源はゴート人のような、という意味であり、古代ゲルマン系の民族の粗野な行為・言動から発している。

それは垢ぬけない、洗練されていない意匠などを揶揄して使う形容詞だった。

ゴシック建築とは元々は、そのような意味だった。

  ゴシックはホラーやロリータファッションとも結びつく。

当初の代表的なホラー映画は「ドラキュラ」、「フランケンシュタイン」、「ジキルとハイド」である。

勿論、血しぶきは飛ばないし、クラシックな心象であり、幻想怪奇譚という趣きである。

いずれも1931年にハリウッドで制作されて、特にフランケンシュタインは、この年の最大の興行収入を記録した。

その勿論、モノクロの映像の一部も番組で紹介されたが。

フランケンシュタインという怪物は、マッドサイエンティストが生み出した犠牲者であり、怪物を追い詰める人々の心理は魔女狩りと通底している、と個人的には強く感じた。

  私が気になったのはジキルとハイド。

何故ならば、このタイトルの映画にスペンサー・トレーシーとイングリッド・バーグマンが共演している、と記憶していたから。

実際に昔、テレビで見たので。

しかし、1931年ではバーグマンは若過ぎる。

  改めて検索すると、1941年にリメイクされている。

この年次であれば整合するので。

因みにトレーシーは1900年生れ、バーグマンは1915年生れである。

二人ともハリウッドを代表する名優であるが。

若き日には彼らにとっての代表作とは言い難い映画にも出演している。

勿論、ジキル~は駄作ではないが、傑作という範疇ではないだろう。

役者が作品を選り好みできない点は現代でも、本質的に1ミリも変わらないが。

  後年、二人は各々が数々の注目作や名作で主役を演じる。

トレーシーは「花嫁の父」「大草原」「老人と海」「ニュールンベルク裁判」など。

そして、最後の作品となった「招かれざる客」。

1967年の映画であり、トレーシーのパートナーでもあった、キャサリン・ヘップバーンはアカデミー主演女優賞に輝いている。

バーグマンは「カサブランカ」「誰がために鐘はなる」「ガス燈」「ジャンヌダーク」「追想」「オリエント急行殺人事件」など。

1978年の「秋のソナタ」が最後の作品。

1982年に永眠している。

  彼女は晩年、「老いることは少しも怖くない、役のオファーが来なくなることが怖い」と語っている。

享年67歳。

ハリウッドの伝説的な二人の俳優。

映画産業という分野に煌めく華、そして光と影。

別次元の浪漫を覚える。

  日本では時代劇が全盛だった頃、あるいは小津安二郎、溝口健二、山本嘉次郎などが監督を務めていた当時にハリウッド映画に初めて接したら、原体験としてはカルチャーショックの如く、抗しがたい魔力に憑りつかれたに違いない。

私の世代でも、その系譜からハリウッドの壮大なスケール、総合芸術とエンタメの世界の蓄積や逸話に魅了される。

先人の遺伝子は受け継がれ、停滞低迷させてはいけない、という当事者・関係者の意識と観念に繋がっているはず。

これからも試行錯誤はあるかもしれないが、映画という領域の盛況・活況を信じる。