山田雅人:一人語りの景色 | 硝子の中年のブログ

山田雅人:一人語りの景色

  昨日の笑点の演芸コーナーは山田雅人。

東京の人間には馴染みが薄い。

検索すると、現在63歳。

元々は松竹芸能に所属していたが、34歳で辞めて個人事務所という記載。

お笑い芸人のジャンルではなく、俳優及び一人語りの芸人と記されている。

主に競馬を含む、スポーツに関する雑学や逸話を元に台本?を構成している。

スタッフがいるのか、座付き作家のような面子がいるのかは分からないが。

たぶん、単独で活動しているのだろう。

一人語りで個性と実力を発揮することは容易ではない。

稲川淳二や古舘伊知郎は稀有なケースと言えるだろう。

  昨日のテーマは長嶋茂雄の天覧試合。

1959年、昭和34年である。

読売巨人軍の本拠地、後楽園球場。

長嶋がホームランを放って一躍、ときの人となり、プロ野球人気に火が付いたことは有名な話であるが。

当日の映像が残っていて、時折資料として放映されるが。

あの解像度が芳しくない、モノクロの映像にこそ本物の実感を覚える。

昭和という時代の息吹を。

デジタルなど影も形もなかった時代の。

  勿論、山田は生まれてもいない。

彼の話芸は講談のようなイメージに近い。

和服も着ていないし、高座の座布団に座って、釈台を前に据えている訳でもないが。

緩急をつけて、メリハリと山場を意識して語る点においては殆ど相似形と思える。

ただし、講釈は宮本武蔵、大石内蔵助など、歴史上の人物を語るが、山田は違う。

  長嶋にホームランを打たれた投手は勿論、阪神の村山実。

長嶋よりも1学年下で、ルーキーイヤーだった。

巨人・阪神両チームの次の世代を担う、両者の対決。

ボルテージは最高潮に達していたに違いない。

力投という言葉が彼の代名詞だった。

村山は1972年を最後に現役を退いている。

その2年後に長嶋も引退。

村山の生涯成績は222勝147敗。

防御率2.09は刮目すべき数字と言える。

掛布雅之は1973年の入団だから、村山とは入れ替わりである。

  村山は尼崎の出身であるが、解説者としての語り口は温和な、スマートな人柄の印象だった。

彼は1998年に61歳で鬼籍に入っている。

早過ぎる。

プロスポーツにおけるライバル物語は多くの人間ドラマを綴っている。

感情移入の対象か、否かは微妙だが。

大相撲では若乃花と栃錦、大鵬と柏戸など。

F1ではアラン・プロストとアイルトン・セナ。

サッカーではリオネル・メッシとクリスチアーノ・ロナウド。

ボクシングではマービン・ハグラーとシュガー・レイ・レナード。

これらに異論はないだろう。

  ノスタルジーに浸るつもりはない。

懐古と回顧に耽溺するつもりもない。

少し巷談が逸走したが、ライバルはノーサイドの精神があって、初めて成立する。

その点では代表チームの試合における、日本のチームと選手を侮辱する韓国の政治的な示威行為は論外。

非礼の極み。

辟易する。

1ミリのシンパシーもない。

スポーツマンシップの欠片もない。

憎悪と敵意からは何も生まれない。

  村山は天覧試合だけを捉えると敗者だが、そこには彼のプロ野球人生の美学が昇華されている。

彼のような、記憶に深く残る先人の奮闘と実績によって、このボールゲームは観戦や草野球も含めて余暇活動の主要な一部門として、これからも継承されていくに違いない。