熊との共存は虚構 | 硝子の中年のブログ

熊との共存は虚構

  熊の出没による被害が多発、頻発している。

家畜は勿論、人命も。

北海道の奈井江町という自治体では、猟友会が熊を駆除する部隊への参加を断ったという報道というか、ローカルニュース。

検索すると、人口は4,785人。

特筆に値する産業や観光資源はないようで、これからの活性化や地域振興は容易ではない、と推測できる。

  ネットニュースでは、町が猟友会に提示した日当は、1日に8,500円。

発砲した場合は1,800円が追加される、という記述。

これを猟友会側は不服として、参加を拒んだという経緯。

私は全くの素人なので、この数字が極端に安いのか、分からないが。

1,800円は実弾の費用なのか、何発撃っても同額なのか。

逆に一律でないと、本人申告によると虚偽のケースも有り得るので、このような規定にしている可能性もあると推量する。

  いずれにしても、普通の職業の報酬と比較したら、安いのだろう。

しかし、これを例えばスズメバチ駆除の業者と比較することが妥当なのか。

逆に消防団の報酬と比べたら、安くはない。

熊という猛獣の危険性を加味しても。

要するに、半分はボランティアとしての性格を帯びていると捉えられる。

それで拒否するのであれば、使命感が欠落しているのだから、それ以上の要請も期待もできない。

このプロジェクトから、スキームから撤退することを批判はできないだろう。

  いずれにしても、現時点で熊が生息していない九州を除いて、全国的な懸案であり、喫緊の命題であることは疑問の余地がない。

そして、これは今年になって急に発生した問題ではない。

国も地方も行政として何も対策を着手してこなかった結果と言える。

典型的な行政の怠慢と不作為と言える。

要するに放置してきただけである。

軽視、あるいは無視に等しい。

危機感も、緊張感の欠片もない。

意志決定がないところには決して成果はない。

  前例踏襲で、何も新規事業にベクトルが向かない、役人特有の心理と言える。

これからは市町村レベルではなく、県庁が隣県とも連携して、一過性ではなく、総合的かつ実効性のある措置を早急に講じなくてはならない。

勿論、予算も計上して執行する必要がある。

役所に担当課、主管課を新設して、対応しなくてはならない。

警察署も法令改正が必要であれば、速やかに改正して新たな部署を設置しても、猟友会の代替としての役務を果たさなくてはならない。

それが生活安全課の責務である。

窃盗、性犯罪、薬物事犯、オレオレ詐欺だけでは済まない時勢であることを直視しなくてはならない。

  現在は誰も主体的かつ能動的にアクションを起こしてはいない。

誰も責任感という観念はなく、自覚もしていない。

地元の共同体に任せていれば、やがて収束するという程度の認識である。

日本人の劣化の象徴的事例と言える。

他力本願という熟語を使うことさえ、憚られる。

  背景には地球温暖化、過疎化、耕作放棄地、里山の減衰などに依る生態系の変容があるが、これらを解決や改善するには中長期的な企画立案及び相当の年月を要する。

したがって、対症療法としての駆除や駆逐を実践しなくてはならない。

勿論、猟師の減少は別のファクターとして、力点を置いて解消を図らなくてはならない。

再三指弾するが、この局面でも偏差値の極めて低い、超三流大学を平成以降に粗製乱造してきた悪弊が元凶である。

詳細は何度も言及して、重複するので割愛したい。

  デスクワーク・へッドワークでは害獣の駆除は絶対に不可能。

ドライバー不足、大工不足など全てが通底している。

社会構造が醜悪に、危機的に歪んでいる。

国政の当該分野におけるグランドデザインの瑕疵と過誤、あるいは欠陥・欠落。

延長線としてのミスリードは許しがたく、その罪万死に値する。

スマホで駆除できるのであれば、ノーベル賞は確実だろう。