母の日という相克 | 硝子の中年のブログ

母の日という相克

  本日は「母の日」です。

「父の日」が忘れられる傾向に、と巷間よく言われますが。

小学校の教室内で普通の子は赤いカーネーション、母親のいない児童は白いカーネーションが配られる。

詳しいストーリーは忘れたけど、漫画「三丁目の夕日」に、そんな印象的な一遍がありました。

勿論、実際は有り得ない筋書きというか、発端ですが。

  要するに、意図するところは子供でも悲哀に向き合う。

不条理を経験する。

残酷でもあり、リアリティも有り。

作者である、西岸良平のヒューマニズムでもあります。

含蓄がある。

ハッピーエンドだけではない。

おとぎ噺だけでは終わらない。

現実は虚構ではなく、それで本人が免疫や耐性も獲得できる?

  それはメリット?

現実逃避よりも優れている?

ピーターパンシンドロームにならないように。

痛みが分かる大人への助走路?通過点?

ファンタジーやメルヘンだけでも全否定はしません。

でも、それだけではスパイスが足りない。

毒までは求めないが。

  例えば、藤城清治氏の影絵の世界。

ファンタジーだけど、メランコリーとノスタルジーも。

作品の構図からは静かな音が耳に届く。

舞台回しはトンガリ帽子の小人たち。

大人は登場しない。

そのシチュエーションがピュアな、無垢な心象を呼び覚ます。

孤独な情景とも言えるか?

いずれにしても邪心が1ミリもない。

共生がテーマと思える。

動物も、植物も、昆虫も大地も、水も風も陽光も、全てが運命共同体で。

人生の賛歌でもあり、応援歌でもある。

  別の角度では「母の日」に感謝は否定しない。

飽くまでも総論としては。

「育てたように子は育つ」

再三、私的にブログで引用する、相田みつをの至言です。

未だ、全容解明には至っていないが、栃木県那須町の山中で焼死体となって発見された、夫婦二人を殺害した、娘の内縁の夫。

狂気の鬼畜の所業。

人の命など、己の強欲を満たすためには尊厳の欠片もない。

悪の極致に自己陶酔しているのだろう。

アドレナリンと高揚感がMAXとなり、止まらなかったのだろう。

この犯人の母親も相似形、同類項の人物と推認できる。

親の影響が、DNAが人格形成に及んでいるはず。

「母の日」は俯瞰から、斜めから複眼的に見る必要があるだろう。