飯島直子:居酒屋探訪記 | 硝子の中年のブログ

飯島直子:居酒屋探訪記

  飯島直子が案内する、居酒屋を巡る番組。

毎回、彼女と過去に共演などの接点がある、ゲストが出演する。

昨日の放送では墨田区の曳舟で2軒を巡った。

因みに「曳舟」は駅名には残るが、住所には無い。

住居表示の前は寺島町だったが、寺島は小・中の学校名に残るだけだろう。

また、都立墨田川高校の所在地も当時の寺島町である。

現在も移転してはいない。

  飯島は初めて当地を訪れた、と語る。

当然かも。

芸能人は勿論、般人さえ目的がある地域ではない。

強いて挙げれば、都立向島百花園の最寄駅だが。

若者が訪れる土地ではない。

  百花園は昭和14年の開園だが、元々の形態は江戸時代まで遡る。

面積は広くないが、由緒正しい庭園である。

因みに百花園から徒歩2~3分の位置に「アイビーボウル向島」がある。

ボウリング場は令和の現代では、昭和の残滓のようなイメージもあるかもしれない。

これで当地に寄席でも開業したら、完璧かもしれない。

銭湯があるのか、分からないが。

  少し脱線したが、2軒目の住所は東向島だから、最寄駅は曳舟ではなく、東武の東向島駅かもしれない。

私の世代では、旧の「玉ノ井駅」を連想する。

この界隈は超弩級の下町と言える。

純度100%と言える。

スカイツリーは隣町だから、比較的大きく視野に入るし存在感があるが、それだけである。

特段の接点も、恩恵もない。

それが当地の日常である。

等身大の姿形である。

  2軒目の店名は「七々」

居酒屋ともんじゃ焼きを兼ねている。

この界隈らしい。

牡蠣バター焼き、鯨刺しなどもメニューに並ぶ。

食べログの評価は3.08で低いが。

投稿が少なくて、他のメニューは分からない。

  ここに集う人々の表情には、昭和の原風景が残っている。

1ミリの気取りも虚栄もなく。

住人の距離感が希薄ではなく。

未だ、隣家に醤油や塩が切れちゃったので、借りに行くような錯覚が脳裏に浮かぶ。

タイムスリップである。

幻影である。

当時はコンビニなど、影も形もなかったので。

当時とは東京五輪の前なので。

  因みに私は押上の生まれ。

小学校4年までしか住んでいなかったが、今でも自分の原点というか、DNAに刻まれている。

血肉の一部かもしれない。

決して誇張ではなく。

「三丁目の夕日」の世界観。

リアルタイムで体感していた。

町工場と住宅の混在。

10円枚を手にして駄菓子屋へ。

ときどき紙芝居も。

  私が通っていた、第二吾嬬小学校は統廃合で今はない。

都立墨田産院も少子化で、だいぶ以前に廃院になっている。

手がかりは少ないが、郷愁・ノスタルジーという言葉だけでは表現できない、語彙に困る温感と感傷と心象風景がある。

極めて凡庸な個人史ではあるが。

これ以上はオールドタイマーの繰り言になるので、拙文を〆たい。

栄枯盛衰、諸行無常、色即是空、会者定離。