柳家三三:孤軍ではないが奮闘は続く
柳家三三が「新ネタお披露目道中」というタイトルで全国を回る、という情報。
7月で50歳。
中堅の実力派、本格派、正統派である。
勿論、古典の演目を中心に語る。
過度で大袈裟な人物描写のデフォルメはしない。
その点では春風亭一之輔とは若干異なる。
一之輔の場合は滑稽噺では登場人物を微妙に改造する。
魔改造ほどではないが。
私はコロナの時代になってから、落語を含めて娯楽に接していない。
演劇も、映画も、美術も。
それ以前は彼の高座を複数回、聴いている。
霞が関のイイノホール、三宅坂の国立演芸場、北千住のシアター1010、水天宮の日本橋劇場などで。
人間国宝として噺家人生を終えた、柳家小三治に弟子入りしたが、師匠からは稽古をつけてもらっていない、という述懐。
全く一つのネタも稽古をつけてもらっていないとすれば、それも極端だが。
弟子に殆ど稽古をつけない師匠は珍しくはない。
理由は弟子が師匠の亜流、模倣、影武者になることを避けるためである。
それでは弟子が師匠のコピーで終わってしまい、大成する可能性はゼロである。
三三は小三治のイズムを感知して、己の成長に繋げたと推測できる。
彼はこれまで、300を超えるネタを高座にかけた、という記載。
しかし、今回のツアーでは過去に演じたことのない、いわゆるネタおろしに注力する、という記述。
例えば「阿武松」「黄金餅」を挙げている。
いずれも、レアな演目ではない。
逆に言えば、300席のネタを演じていながら、これらを持ちネタにしていないのは、ある種の偏在と言える。
要するに系統が違うネタはなかなか自分の手中に収めることは簡単ではない、ということか?
単に自分の波長や感性と合わない演目と推察するが。
「阿武松」は力士が主役の演目であり、円生も円楽も談志も手掛けていた。
極めて持ちネタの多い、先代文楽直系の柳家小満んも勿論。
「黄金餅」は古今亭志ん生の十八番であり、秀逸であり、独壇場とも言えた。
それでも、談志や志ん朝も演じている。
特定の演目における、先人の芸が凄過ぎると自分が挑戦するには躊躇することもあるだろう。
究極の完成形と言えるネタもある。
円生の「小言幸兵衛」志ん生の「火焔太鼓」金馬の「居酒屋」など。
三三には未だ伸びしろがあると思える。
名人の器と言えるし、ポテンシャルは高い。
間口を広げ過ぎて、当人の噺の練度が落ちるとか、クオリティが下がる、冴えなくなる心配はない。
破綻の心配はない。
還暦を過ぎたら、少しづつ絞って全集として電子媒体に展開しても面白いかもしれない。
今は守りに入らず、果敢に攻める時期と言える。
失速を恐れずに噺家人生の円熟を目指して、取り組んで欲しい。
歌丸も晩年に高座にかけて、感服の一席だった、長編の人情噺「塩原太助一代記」でさえ、取り組む価値があると思える。
時代背景は現代では微妙な違和感があるかもしれないが、それを超越して演じる力量が彼には備わっている。
最後に記すが、ウィキペディアに載っている三三の持ちネタでは「柳田格之進」「星野屋」が漏れている。
ウィキペディアの記載内容を前提として、ネタおろしを私的に希望する演目は「もう半分」「五人廻し」「猫の皿」「心眼」「茶金」「片棒」である。