友達が多いは人として優位?勝ち組? | 硝子の中年のブログ

友達が多いは人として優位?勝ち組?

   昨日の「さんま御殿」は友達の多い人、逆に友達ができない人、各々の自己主張。

できないと言うよりは作らない、という人の思考回路。

例えば、他人と鍋は無理という観念。

特に直箸の人は論外、という心理。

これには私的に異論なし。

デリカシーが無さ過ぎる。

  基本的に群れることを好まない、あるいは一人の方が楽とか、同調することが面倒くさい、という人たち。

友達100人を自慢する人に対しての異議も。

友達の定義って何?

50万円貸してくれ、と言われて翌々日には現金を用立てるくらいの関係性が本当の友達では?

1ミリの不信感も抱かず。

これは番組内のトークではなく、私の自説です。

 100人の関係性なんて、密度が濃度が確実に希薄になる。

笑点のメンバーの関係性は濃いが、あの人数だから成立する。

それでも勿論、濃淡はあるはず。

  夕方のTBSのニュース番組でホラン千秋が数日後の花見に誘われても拒否する、断ると言っていた。

理由は天気が良いか分からない、当日の時点で参加したい気分か分からない等々で、参加しない理屈を正当化したい人。

典型的な我儘な人、自己中心的な人と言えるか。

当日気楽にキャンセルよりは誠意ある人物という評価も有り得る?

ほぼ例外なく、退社後に直帰の人?

ライザップも寄らずに。

  いずれにしても、インドア派が増えて、運転免許も取得せず、アルコールも飲まず、電脳遊戯が余暇活動の軸足という若者たちには、友達という概念は厄介なものかもしれない。

煩わしいの言?

どちらが正解とか、片方を全否定するようなテーマではない。

メリットとデメリットがあると言える。

男女を問わず、例えば波長が合わない、マシンガントークの女子と緒の空間にいることを我慢する必要はないが。

  他人との距離感が把握しずらい時代であることは間違いないかと。

組織や職場の同僚とはプライベートの時間を共有したくない、という人が平成以降に急増。

昔の常識が、慣習が通用しない。

だから、昭和の風物詩だった職場旅行や団体旅行は無くなり、温泉旅館は失速し、低迷して斜陽に至る。

アフターファイブの飲み会も敬遠。

この価値観の変容が友達の多い少ないの現象と通底していると思える。

  いずれにしても、職場の熱量が低い。

有機的ではなく、無機的になっている。

昔は職場を離れた時間、例えばゴルフ、釣り、競馬、アルコールなどを通しての雑談や情報交換で、先輩や後輩の人柄や趣味嗜好などをお互いに知って、団結力がキープされるようになる。

打算ではなく。

そして、いざというときに助け合い、協力し合う。

その素地が醸成される。

終身雇用ではなくなった現代には求めにくい環境と言える。

いずれにしても、極端ではなく中庸が肝要、という総括で〆たい。