白洲次郎と令和 | 硝子の中年のブログ

白洲次郎と令和

  本日の番組で白洲次郎の、終の棲家をドラマ仕立てで紹介していた。

居宅の名前は「武相荘」

読み方はぶあいそう

これって、不愛想と掛け言葉になっていると思っていたが、違うのかもしれない。

武蔵と相州(神奈川)の一文字をとっている。

住所は町田市で、茅葺屋根の家屋を公開している。

入館料は1,100円。

  入館できるとは思っていたが、まさか中で食事ができるとは意外だった。

完全予約制だが、ディナーも。

ランチはカレー、親子丼、オムライス、シーフードドリアなど。

こんなところでデートだったら、上級者向けというか、本物の大人だと思う。

色々なグッズも通販で買えるようだが。

  番組では白洲の遺書の一部「葬式無用・戒名不要」にも触れていた。

字が達筆ということも。

昔は現代のように娯楽も遊興も選択肢が多くはないし、パソコンもワープロもなくて、タイプライターくらいだから、書道という分野で己の才覚や力量を示す方途として、素養を培っていた人が少なくなかったのかもしれない。

  白洲がサンフランシスコ講和条約調印のため、吉田茂と同行して、帰国したときの画像が紹介された。

白洲は側近だったにも係わらず、吉田とは遠い距離にいて、多くのカメラマンのシャッターの画角から完全に外れている。

自分は飽くまでも脇役であり、裏方であるという意識。

自己顕示欲が強い人物ではなかった?

  番組では群れない人というキーワードで、格好良いとも評していた。

迎合しない人とも言えるか。

いわゆるクールな人物か?

群れる人とは、自分の人生の軸足が趣味嗜好や自遊時間であるため、必然的に多くの人と交流する、その密度と濃度が高い人と言えるだろう。

私的には肯定的にも否定的にも捉えないが。

人の生涯の時間は限られる。

謳歌しても、しなくても他人が是非に言及すべきではない。

得ることと、得られないことが相殺すると思える。

どの角度から見るか、形容句によっても大きく印象が異なる。

「孤独な人」「友達の少ない人」と言えば、マイナスのイメージでしかない。

  しかし、白洲は必要なときには、敢然と発言する。

相手がアメリカ駐留軍の最高司令官だとしても。

マッカーサーが昭和天皇からの贈答に対して、非礼な言動があったときに、強くたしなめた、という逸話が残っている。

それほどの気骨のある人物だったという実話である。

  白洲は1902年生れで、1985年に没している。

享年83歳。

彼の人物像については、死後になって誇張された部分、あるいは加工されたり増幅された部分もあると思える。

しかし、戦後の日本人の大半が脱力状態で方向性を、進路を見失っていた時期にも復興の道筋をつけるために尽力した人物として、その容姿、ライフスタイル、堪能な語学力も相俟って、近年では羨望に近い対象の日本人男子として、注目を浴びた。

  彼のような志向、胆力、見識の人間が今の日本の政界を見たら、何と思うだろうか。

たぶん、激怒激高するに違いない。

白洲の眼には守銭奴、金の亡者の集合体として映るはず。

日本人の劣化が、民度の低さが底なし沼になっている。