若者 ⇒ 句読点の苦痛 | 硝子の中年のブログ

若者 ⇒ 句読点の苦痛

  最近の若者は職場で上司からLINEで送られた文書や文言の最後に句読点の丸→が付いていると、威圧を感じるという傾向がテレビのニュース番組などで報じられている。

論外であり、絶望を覚える。

思考回路として、有り得ない。

言葉は生きていて、死語にもなるし、派生した言葉が定着するケースも勿論ある。

しかし、本件は全くベクトルが、実相が異なる。

これは文法の否定に他ならない。

複数の点で指弾できるが。

  先ず、社内の業務や連絡の文書は仕事であり、私用でもなければ、遊びの延長線でもない。

その辺りの分別もできない人間は社会人として失格と言える。

下等過ぎる。

電話の相手である、取引先の人間とも日本語がお粗末で、満足に会話が成立しなかったり、陰で笑われるような人間に違いない。

社内の人間に「さん付け」をしてみたり、敬語・謙譲語などが適切に、的確に使えない人物と思える。

完全に「育てたように子は育つ」の典型と言える。

再三引用する、相田みつをの至言だが。

  彼らのコミュニケーションの軸足は電子媒体であり、だから電話のコールが鳴った時点で恐怖を覚える、という実態を耳にする。

最近の通販業者のホームページでも、電話番号は明記されていないケースが珍しくない。

アナログは過去の遺物と思っているはずだ。

これらは研修でスキルアップしたり、改善するような次元の代物ではない。

彼らは完全に紙媒体の小説やエッセイなどの読書とは無縁に違いない。

勿論、新聞も読まないだろう。

  だから、日本語の基礎的なトレーニングができていない。

未就学児と大差ない、と言える。

漫画やアニメには高い親和性を示す世代というか、人種なのだろう。

勿論、携帯中毒患者に違いない。

私はスマホ依存症とは呼ばない。

依存症はアルコールやニコチンだけで沢山だ。

未だに携帯を見ながら自転車に乗る、底なしのバカを頻繁に見かける。

彼らは1時間も携帯に触れていないと、離れていると禁断症状を呈する。

だから、いわゆる一般的なコミュニケーション能力よりも前の段階で欠陥がある。

  いずれにしても、知的レベルが低い。

たぶん、極めて偏差値が低い、超三流大学の出身に違いない。

文科省が統計的に素人でも分かる少子化を無視して、邪道の粗製乱造を断行してきた不始末の、負の遺産と言える。

偏差値30~40台程度の。

これが社会構造の苛烈な歪みを生んだ、非道であり悪弊であるが。

辟易する。

タクシーを含む、各種のドライバーが不足して、路線バスの減便や廃止にも直結している。

 「超新人類」というカテゴリーなのか。

退職願もメール1本で完了、という人種である。

挨拶回りなど一切しない。

後腐れがないから正解か。

それが彼らの流儀であり、これまでの常識は通用しない。

この類いの人種が加速度的に増殖していくはずだ。

昭和のセオリーはブラッシュアップの対象にもならないようだ。