藝大「大吉原展」の悶着 | 硝子の中年のブログ

藝大「大吉原展」の悶着

   上野の東京藝術大学美術館で「大吉原展 江戸アメイジング」が開催される。

会期は3/26~5/19で、料金は2,000円。

江戸時代に吉原にあった遊郭の文化を紹介する内容。

藝大、テレビ朝日、東京新聞の共催である。

公式サイトでは「エンタメ大好き」「イケてる人は吉原にいた」などのキャッチーなコピーが載っている、という指摘だが。

  これに対して、SNSでは「女性の人身売買や性暴力が行われていた歴史について触れられていない」「エンタメや遊園地のように扱って吉原を美化している」などの批判が上がっている、という情報。

そもそも、これらの批判をしている人たちは展示を鑑賞していないはず。

未だ、スタートしていないのだから当然だが。

それなのに、初めから批判と全否定のスタンスであり、志向と言える。

初めから生理的に受け付けない、拒否反応の極みと思える。

  さらに「国立大学の付属美術館で、女性の人権の負の歴史について虚偽を拡散するならば、明らかに社会的害悪になる」という、辛辣な指弾もあるようだ。

これも先入観や固定観念に縛られた、断定と言える。

先ず、国公立だから悪くて、民間だったら良いという選別は有り得ない。

公序良俗に反するか否かで判断すべき。

  私が第一義的に言及したいことは、表現の自由である。

これは憲法でも保証されている。

普遍的に尊重しなくてはならない。

日本は中国でも、ロシアでもない。

民主主義の原理原則を無視してはならない。

当該展示企画が極めて猥褻、猥雑で直視に耐えないような内容でない限り、許容すべき。

  藝大で誰が当該企画展示を発案したかは、部外者なので全く分からないが、マンネリを打破して、新奇の切り口で日本の文化の一角を体系的に整理して、集約し総括したい、という発想、構想と推測することができる。

負の部分を隠蔽することは不適切だが、吉原に根付いた文化があったことも紛れもない事実である。

その文化がアートとして昇華した部分に焦点を当てて、成果としたいという狙いに違いない。

  海外の美術館からも貸し出された作品が展示されるようだ。

勿論、写楽や歌麿などの高名な浮世絵師も吉原の遊女を描いている。

風俗史でもある。

清澄で高潔な面だけを人生の教科書として扱えば、他は要らないということにはならない。

我々は皇室の一員ではない。

濁りも知っておく必要がある。

単なる野次馬的な、下等な好奇心ではなく。

  史実を知って、何が問題で何が美的なのか、後世に残すべき事物は何なのか、自分の視点と見識で判断すればよいこと。

最初から門を閉ざし、扉を塞ぐ必要はない。

人権侵害及び女性虐待だから、全て闇に葬るという論法は独善的過ぎる。

この企画が駄目なのであれば、犯罪白書などは出版するな、という話になる。

月岡芳年の「奥州安達が原 ひとつ家の図」などの展示は論外ということになる。

彼らは「はだしのゲン」を教材から削除するように求めた人物たちと同じ思考回路に違いない。

死蔵になっては意味がない。

因みに吉原は現在の台東区千束4丁目であり、今でもソープランド街が形成されている。

この踏襲と継承は良くも悪しくも刮目に値するか。