幹線道路と墓地の錯綜 | 硝子の中年のブログ

幹線道路と墓地の錯綜

  本日の番組「噂の東京マガジン」で、練馬区内の都市計画道路放射7号線の開通が止まっている現状が紹介された。

理由は当該区間にある、善行院という日蓮宗の寺及び墓地の移転交渉が東京都建設局との間で決着していないことが原因と説明された。

私は23区内に住んでいるが、現場には全く土地勘がない。

したがって、客観的に言及したい。

  寺側の主張としては、道路用地が墓地を二分して、本堂から法事などで檀家が向かう場合も危険や不便が生じる、という内容である。

したがって、分断しない形態の一ヵ所に移転できるような対応を求めている。

しかし、東京都としては当該道路敷地に掛かる部分の補償しかできない、という論理である。

  この点に関しては都の言い分は理解できる。

この寺だけ、この地権者だけを特例的に扱うことはできない。

その意味では寺の主張は利己的と言える。

この都市計画道路が開通しないことにより、周辺の線形が直線ではない生活道路・狭隘道路に多くの車両が進入して、安全性を脅かしている。

  しかし、一方的に寺側を悪者にすることはできない。

そもそも、この道路の都市計画決定は昭和21年(1946年)であり、事業開始は2006年である。

事業開始までの約60年間、都内23区を取り巻く交通や環境は大きく変容したはず。

従って、戦後間もない時点の都市計画が全て最上であり、正解とは限らない。

現実と乖離しているケースも少なくない。

その場合は都市計画変更も、臆することなく行う必要がある。

  また、練馬区は計6ヵ所で区画整理事業が行われたようだが、今回の地区では実施されていない。

都市計画道路と抱き合わせ、または別途に区画整理を行って、現在の危険な状況を解消することができたはずである。

勿論、区画整理事業は大規模な予算、専門的知見、人材、そして年月を要する、極めてタフな公共事業であるが、地区のグレードを向上させて、緊急自動車の走行及び激甚災害が発生した際の延焼を防ぐなど、上質な街づくりの有効な手法と言える。

  この点では残念ながら、当地は防災的にも脆弱で冴えない地域、という評価にならざるを得ない。

例えば、世田谷区は一ヵ所も区画整理を行っていない。

つまり、歴代の区長が猛烈な批判と逆風を承知で、自らの退路を断つ位の覚悟と信念を持って、当該案件に臨まないと、事業決定及び事業着手には辿り着けない。

  そして、墓地の移転は墓石などの物理的な作業に関しては難題ではないが、骨壺・遺骨を改葬することは容易ではない。

だから、いわゆる墓じまいも世の中の趨勢に、時流になりつつあるが、実際は未だ少数派であり、増進していない。

改葬には市区町村の役所に届けを出して、許可を得なくてはならないため、その手間暇も含めて施主が積極的にならない実状がある。

また、寺が檀家と連絡がとれず、音信不通でアクションを起こせないケースもあるに違いない。

 別の視点として、大きな神社仏閣の場合はどうなのか。

上野寛永寺、築地本願寺、靖国神社などの敷地を二分するような、道路線形で戦前戦後に都市計画を策定しただろうか。

いずれにしても、複数の観点から考察することができるし、解決策を模索する必要がある。

本件は事業開始後、18年が経過。

短くはないが、長くもない。

次世代になることも珍しくない。

街づくりとは、その視程のスパンで見る必要がある。

当事者の忍耐と腐心は不可避かつ不可欠と言える。