ネバーランドは何処にある? | 硝子の中年のブログ

ネバーランドは何処にある?

  先日、テレビで実写映画の「約束のネバーランド」が放送された。

録画して見た。

コロナの時代になってから、劇場では1回も映画を鑑賞していない。

理由は勿論、感染を避けるためであり、同様に演劇、落語、美術も1回も鑑賞していない。

これらのジャンルに関しての蘊蓄は極めて長尺になるので、割愛する。

  本作は2020年12月に公開された作品。

原作は漫画であり、テレビアニメ化もされている。

私はいずれも見ていないが。

世代が全く違うので。

私の場合は「三丁目の夕日」か、さらに前の世代だが。

敢えて言えば、滝田ゆうの「寺島町奇譚」だろうか。

この作品の当時は私も若者だったが。

  だいぶ脈絡が逸れたが、この映画の一番の感想はストーリーが惜しいというか、大人の鑑賞には微妙な違和感があるということ。

勿論、私的かつ主観的な論評ではあるが。

これがコミックスが原作の実写映画の隘路かもしれない。

具体的には怪物が登場する。

孤児院で愛情豊かに育てられた子供たちが成長して、一人々々卒院していく。

しかし、彼らは養子縁組で引き取られたのではなく、怪物に食用児として食われる運命だった。

  この設定自体が残念ながら、超A級の作品には成りえない要素と言える。

勿論、荒唐無稽や非現実的を批判するつもりは毛頭ない。

非現実的とはSFやオカルトと≒であり、これまでも優れた作品が残されてきた。

超常現象も映画のジャンルとして無視できない。

例えば、全て洋画だが「トワイライトゾーン」「ディアボロス/悪魔の扉」「家」「デビルズゾーン」などが該当するだろうか。

また、恐怖映画としては、テレンス・スタンプ主演の「コレクター」も秀逸と言える。

勿論、ヒッチコック監督の「サイコ」は説明するまでもないが。

ゴシックホラーとしては「月下の恋」が印象に残っているが。

  子供がクリーチャーのような怪物に食餌として供されて絶命するのではなく、人間の原形を残したような、その延長線で変異した怪人に与えられ、さらに選別されて次の段階に至るような、ダークサイドを直接的ではない手法で描けば、奥行きが出るはず。

怪人の心理的な異常性を描写することで、観客の対象として大人にも裾野が広がるはず。

勿論、この作品、この映画で怪物には背景も、ストーリー性も皆無である。

因みに複数の孤児院の元締めというか、総帥のような老嬢として、三田佳子が出演するが、端役でしかない。

  怪人奇人を登場人物として加えても、関係性が複雑になるとか、煩わしくなることはない。

例えば、「イット」のペニーワイズのような。

毒蜘蛛の化身でも、化け猫の憑依でも、腹話術の人形でも、狂人ピエロでもいいが。

設定は21世紀でも土着や土俗の空気感、あるいは怨念などの伏線やプロットは欲しい。

その方が映画の賞レースにもノミネートされるようなグレードになると思える。

これが線引きというか、分岐点と言える。

  つまり、漫画やアニメでは若年層に向けて、より苛烈なキャラクターや設定により、瞬時に過激に見る側の前頭葉を挑発する傾向が強い。

実績と収益を担保し、獲得するためにも。

しかし、大人の作品は即物的よりも一歩引いて、猶予をもって、急速に熱量を上げるような描写はしない。

暗部や闇を描くことで、深みが増す。

なお、本作の北川景子、浜辺美波の演技は5段階評価で☆☆☆☆を付けたい。

中堅と公開時に新人の女優には未だ展望が、未来予想図が大きく開けている。