大谷・超大狂想曲の巻 | 硝子の中年のブログ

大谷・超大狂想曲の巻

  昨日の大谷選手の入団記者会見。

私は見ていない。

勿論、リアルタイムで見れないので、録画をした訳でもない。

ニュース映像で極一部を見ただけ。

私は斜めから事象を捉えたい人間なので、躁状態からは距離を置きたい性質なので。

私が気になった点は冒頭の挨拶を日本語で通したこと。

自分の意思と決断なのだから、仮に手元のペーパーを読んだとしても、英語で話すべき。

まして、メジャーリーグ1年生ではないのだから。

  ファンに対するアピール度が全然違う。

発音できないほど、外国語が本当に苦手で、委縮するほど学習が劣等なのか。

そのくらいのハードルを越えられなくてどうする?

これは水原通訳に依存し過ぎのマイナスポイントかもしれない。

勿論、質疑応答は通訳を介する形でいいと思うが。

  超人的な記録を残したメジャーリーガーには変人と言える性格の人物もいたようで。

タイ・カッブは典型かもしれない。

偏屈な人だったようである。

「最高の技術と最低の人格」「メジャー史上、最も偉大かつ最も嫌われた選手」

というフレーズの揶揄も。

1961年に74歳で永眠。

生涯打率3割6分7厘、首位打者12回という異次元の数字。

彼には美談は要らなかった。

一般論として、エキセントリックな人間性と超人とは、不可分なケースが珍しくないようで。

  大谷は善人過ぎるという評判であり、人物像だが、私的には1ミリも異論はない。

ただし、野球だけに徹底的に没頭して、昼夜を問わず街には原則として出かけない。

仲間からの誘いも断る。

まあ、一人の誘いに応じると、断る人との選別が問われるので、全て断っているのかもしれないが。

それでも微妙と思える。

これも、広い意味での変人、人生の変態的志向と言える。

ストイック過ぎると精神のバランスが崩れる懸念がある。

愛犬が癒しとして求められたのかもしれない。

彼がユニフォームを脱いで、現役を退いたときに本当のパーソナリティが分かるのかもしれないが。

  凡庸や平板は決して変人と等式では結ばれず、常識外の言動が似合うし、相応しい。

全否定するつもりはない。

それも自由度であり、多様性だから。

決して、中国やロシアでは許容されない扱いと言える。

国家元首に従い、全てを統制する恐怖政治+専制国家。

この件は別のテーマになるので、割愛する。

  長い歴史の中でロマンが醸成されて、感情移入に繋がる。

今回の大谷の移籍もショータイムとヒーローが大好きな、アメリカ人の感興と心象に刺さったと言える。

名門に新たな航跡を刻むか。

費用対効果に見合わない、大失速になるか。

殿堂入りの可否も含めて、人間ドラマとして捉えたい。

定点観測に値するに違いない。

野球という名のボールゲームが刺激を受けて再び隆盛となる、黄金期となる予兆、そのステージを客観的に視認したい。