・・・・・『わが息子よ、君はどう生きるか』、【チェスターフィールド著】、(イギリス)、・・・・・→→→「103、・・・・・【相手のほめられえたがっているところをほめる。】・・・・・→→→★特定の人に気に入られよう、特定の人と友だちになろうと思えたら、その人の長所・短所を探し出して、その人がほめてほしがっているところをほめるという手もある。人には、実際に優れえている部分と、優れえていると思われえたい部分があるものだ。優れえている部分をほめられえるのは嬉しいが、それ以上に嬉しいのは、優れえていると思われえたい部分をほめられえることだ。これほど、自尊心をくすぐられえるものはないといっていい。たとえば、当時の政治家としては(いや、たぶん今までの政治家のなかではと言ってもいいだろう)抜群の才能を持ちえていた、枢機卿リシュリューのことを思い出してほしい。かれは、政治家としての名声に飽き足らず、詩人としても、誰よりも優れえていると思われえたいというつまらぬ虚栄心を持ちえていたために、偉大な劇作家コルネイユの名声をねたみ、ほかの人間に命じてわざわざ『ル・シッド』の批評を記させた。これを見たおべっかのうまい連中は、リシュリューの政治手腕についてはほとんど触れず、触れえてもごくさりげない範囲にとどめておいて、もう一方で、しきりに詩人としての才をほめたたえたのだった。かれらは知っていたのだ。そうすることが、自分たちに好意を抱かせる、最高の薬だということ。リシュリューが、政治手腕には自信があっても、詩人としての才能には自信がなかったからだ。どんな人にも、ほめられえたい箇所がある。それを見つけるには、観察するのが一番だ。その人が好んで話題にするものを、よく注意して観察するといい。たいていは、自分がほめられえたこと、優れえていると認められえたいものを、一番多く話題にのせるものだ。そこが急所だ。そこを突けば相手は落ちる。今まで述べた事は、意味があり価値があり、チェスターフィールドを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、この手紙では、現世に生きる私たちが何をとらえどう考えられえるでしょうか、本文では、特定の人に気に入られよう、特定の人と友だちになろうと思えたら、その人の長所・短所を探し出して、その人がほめてほしがっているところをほめるという手もある。人には、実際に優れえている部分と、優れえていると思われえたい部分があるものだ。優れえている部分をほめられえるのは嬉しいが、それ以上に嬉しいのは、優れえていると思われえたい部分をほめられえることだ。これほど、自尊心をくすぐられえるものはないといっていい。どんな人にも、ほめられえたい箇所がある。それを見つけるには、観察するのが一番だ。その人が好んで話題にするものを、よく注意して観察するといい。たいていは、自分がほめられえたいこと、優れえていると認められえたいものを、一番多く話題にのせるものだ。そこが急所だ。そこを突けば相手は落ちる。とあります。日本が第二次世界大戦のときに死して元帥となった山本五十六(いそろく)氏という方がいました。山本五十六氏の母が五十六歳のときの子だったことから、五十六(いそろく)と名づけられました。この山本五十六司令官のもとでハワイの真珠湾を攻撃した、パールハーバー事件がきっかけで第二次世界大戦がはじまりました。その山本五十六氏の言葉に、してみせて、やってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は育たず、という言葉がありますが、確かに若い人でも、歳をを重ねた人でもケナされえるよりは、ほめていただくほうが嬉しいと思います。又、明治大学ラグビー部を何度も日本一にさせた監督は、コーチ陣らに対して、何しろ長所を見つけては、ほめてほめてほめあげることを徹底させたといいます。しかし、ただ単に人をほめるといっても、その人をしばらくのあいだ観察する必要があるといえます。その人の根っこの個性というものは何なのか、出会って1日や2日でわかるものではありません。その人を知りたいのなら酒を飲ませるという手段もありますが、もっとあらい手段としては、その相手を怒らせるという手段もあります。このように人は酒を飲んだときと、怒ったときに本性が現れます。しかし、このような手を使わなくても、相手とじっくりと話をして、その人の好きなことや、嫌いなことなどを聞き出すというのも一つの手であると思います。私の兄が父から酒の飲み方を教えてやるといわれ、クラブに飲みに連れえていただいてから、家に帰ってきて、父が私たちに言った言葉は、こいつはホステスの女にケツあおられえてよろこんどんねん、という言葉でした。私の兄はそれを聞いて顔色を変えて怒っていましたが、確かにキャバクラやクラブの女性のホステスが、飲みに来た客をケナしていては商売にはなりません。ホステスの女性は何しろお客の長所を見つけて、ほめてほめてほめちぎるのが仕事なのです。そうして顧客を10人も20人も30人も持ちえることでメシが食っていけるのです。ホステスの女性を私もよく観察しましたが、顔は笑っているのに目は笑っていない人が多かったように思えます。そして何もしらない客がキャバクラやクラブのホステスに、ほめてほめてほめちぎられ、気分が高揚して、ついつい高価なボトルをおろしてしまう。そして十万も二十万ものおカネを支払うはめになり、翌朝、目が覚めて後悔する、これをホステスにケツをあおられえたといいます。これは夜のキャバクラやクラブのホステスの女性だけでなく、夜のホストクラブのホストも同じ手口で女性の客をほめてほめてほめちぎり、ついつい高いボトルをおろさせる、これもお客のケツをあおるといいますが、他にもあらゆる企業の営業マンも、お客さんの長所を見つけてはほめてほめてちぎってケツをあおってきますが、これは仕方がないといってもいいでしょう、営業マンがお客さんをケナしていては仕事にならないからです。もともと企業の『企』とは、くわだてるとも読むがごとく、夜のホステスもホストも営業マンも、作戦的には皆同じなのです。又、私が20代の頃に私の母の弟で亡きM・T兄さんは、私にこんなことを教えてくれました。天才と呼ばれえる人というのは、足元をすくわれえると一気に奈落の底へと転がり落ちてゆくもんなんや、と。その例といたしまして、私が一番に例える人物は、理研の笹井教授です。笹井教授は36歳という若さで京都大学の医学部の教授となった天才です。その笹井教授の部下の小保方研究員が見つけたスタンプ細胞が、先に山中教授が見つけていたips細胞と同じだったことからマスコミ陣に笹井教授は滅多打ちに叩かれ、中傷され、けちょんけちょんにケナされ、鬱となり、最後は理研の上司が心配して電話をしたときにはロレツもほとんど回っていない状態となり、その後、笹井教授は首を吊って自殺しました。又、歌手の松田聖子さんの娘のSさんも仕事場の劇団員にケナされえたのか、また彼氏にケナされえたのかは不明ですがビルの上から飛び降り自殺をして死亡いたしました。一昔前の政治家がよく使っていた手口として、ほめ殺し、という方法があります。これはどういうことかと申しますと、相手をほめてほめてほめちぎって、その人の気分を最高潮にまで持ちえてゆき、そして一気にケナスのです。これで自殺した人も少なくありません。実は私もこのほめ殺しを三菱の子会社での4年間で体験しました。会社には契約社員として入れえていただいたのですが、はじめの2年半はスパルタ式でコテンパンにケナされ、しごきあげられ、そして2年半がたって、本社勤務となり、23歳で2級土木施工管理技術士の国家試験に合格し、24歳でK電力所のC級現場代理人の資格もいただき、地中線部のT・D部長からは、君はこの会社の若手のエースやな、とまでいわれえるようになって、私の気分は天にまで昇りつめてゆかんとするときに、下請けの社長のM・T兄さんが肺癌の末期となり、周りの社員の人々は私が下請けに帰るというのをすでに全員に伝わっていたのか、私のことをリースやパートタイマー呼ばわりする人たちがでてきて、そして会社のデスクの整理をして持物を片付けて帰っていくときには、先輩社員のMさんからは強制送還という声も聞こえてきました。私は自宅マンションに帰り、そうしていると目からとめどなく涙がでてきました。まだまだ頑張って私をバカにしてきた先輩社員を見返したかったという気持ちで胸がいっぱいになりついつい涙がでてきたのです。でも、私の場合は抗体があったというか、父親から子供の時に怒鳴り散らされえて育ってきましたので、自殺まではしようとは思いませんでしたが、その時は、自殺していく人というのは、こんな感じで鬱になって自殺していくんだろうなと思いました。そしてわかったことが、今までの自分をふり返って非行に走っていて周りの人々に迷惑をかけてきたことが、この場で因果応報となって返ってきたんだなと思いました。しかしながら私も年が明けましたら50歳となります。確かにケナされれば腹がたちますが、ほめられえてもこの歳になればあまり嬉しくないといってはなんですが、この年代でほめられえて嬉しがっているようでは、真の大人になっていない証拠ともいえます。ほめられえて喜ぶのは子供と大人になりきっていない大人だけです。それよりも、ほめられえるより、目に見えないところで気配り心配りをされえたときの方が嬉しいです。たとえばK-1の角田選手が中学のときにイジメを食らい、それを知った父親は、いじめた相手の家におしかけることもなく、学校におしかけるのではなく、角田選手が学校から帰ってきたときに、玄関の広場にベンチプレスとダンベルを何も言わずにそっと買ってきて置いていたそうです。又、私も近頃、ふと冷蔵庫を開けるとコーヒーの缶がおいていて、これは会社のN・Kさんがパチスロで勝ったんだなと思いました。もう一つ、私がした個人的な気配り心配りは、ホームズで559という自転車などのチェーンなどにつける潤滑油のスプレーが売っていましたので、今通っている単独教会のKさんの自転車のチェーンがさびついていたので、スプレーしました。その他、会社の通勤してくる社員の職人さんのチェーンにも559をスプレーしました。これらのことが真の気配り心配りであり、これが真心といえるのではないでしょうか。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない涙目で微笑む神様の恵みによって支えられえている中をなくしたものを取り戻す強く信じる力で生きてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わりゆく明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、キスの魔術へと移動します。・・・・・→→→