・・・・・【脳のインプット後期190名の女性の方々】・・・・・→→→「7、・・・・・【A第7グループ】・・・・・→①、私が中学生の3年間通っていたN塾のN先生です。N先生は小柄で髪型はショートカットをしていてとてもきれいな先生でしたが、気性があらく、一回私とN先生が口喧嘩になり、私の教科書を扉の所に投げつけられ、辞めなさいと叱りを受けたことがありました。・・・・・→②、皇太子妃Kさまです。Kさまは、学習院大学の博士課程を修了するという秀才で、今の皇太子さまとは、皇太子様がよく買いにいっていた本屋の主人からKさまを紹介していただいたそうです。とてもきれいな方です。今まで述べた事は、意味があり価値があり、キペラを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、私が中学に入ってすぐに学級委員長にされました。そして確か数学の授業だったと思いますが、先生が黒板に記した問題を私に前にでてきて答えを記しなさいといって、まったくわからなかった私ですが黒板の前にいってアルファベットのつづりを1つ記して、そこから身動きがとれず、みんなから笑われえたことを今でもよく覚えています。そうしてすぐにラグビー部に先輩のH・M君という2つ上の先輩から小学6年生のときにスカウトされえていて、すぐにラグビー部に入りましたが、ルールがいまいちわからないまま、毎日毎日全力で走り抜きましたが補欠でした。そして中学2年に入って、兄の勧めでノストラダムスの大予言の雑誌を端から端まで全部読みましたところ、ノストラダムスの予言では、1999年の夏に地球が滅亡するというものでした。聖書を解読したノストラダムスが述べているのだから私はこれは本当だろうと思いました。そんな時に学校の社会の授業で仏教のシャカの末法思想を習い、おなじく1999年に地球が滅亡するということがわかった私は、このノストラダムスの大予言と仏教のシャカの末法思想で1999年の夏に地球は滅亡するんだということが確信となりました。そこからは、悩み苦しみ、電卓で1999年まであと何年生きれえるんだとはじきました。すると25歳位であることがわかり、その当時は14歳位だったので、約10年位の命かと思い、私はもともと嫌いだった勉強をやめ、非行の道に走っていきました。そこにあったものは、タバコやシンナーや盗んできたバイクでした。私はもうあと10年位しか生きれないのだから勉強なんてしている場合じゃないと思い、不良グループとつき合いだし、万引きやバイクを盗んだり、タバコを吸ったり、シンナーを吸ったりしました。ところがある時期がきて、その不良グループからいじめを食らうことになり、私の自転車がつぶされえたり、不良グループから無視されえるようになりました。そんなときに追いうちをかけるように小学5年生から中学3年生までずっと5年間同じクラスで好きだったO・Kさんがその不良グループのS・K氏とつき合いだし、私はノストラダムスの大予言と仏教のシャカの末法思想とずっと好きだったO・KさんがそのS・K氏という不良グループの一員とつき合いだし、考え込み、悩んでノイローゼとなり、頭の髪の毛から白いフケが沢山でてきて、一人の生徒が通りかかって、君の肩のところに白いチョークの粉が沢山ついてるでといってきました。私はほんまにと言って(心の中ではおどりゃこれはストレスからくるフケじゃアホと叫びました)、そして私は鋭利な刃物のようにさらに不良の道に走ります。そんな中学2年のときに、のちの大阪連合修羅八代目総長となるE・H氏と不良グループのT・K氏とH・N氏が私の実家にやってきて、となりのN中学のN・S氏という番長とE・H氏らが風呂屋で遭遇したときに、私がN・S氏と道で会ったら挨拶してくるといっとたぞと言ってきました。私は確かに小学5年生のときにN・S氏ともうひとりのS氏という連れが来て、N中学の裏に連れて行かれ、顔面にケリを食らい、逃げたことがありました。でも、N・S氏とあっても挨拶なんて一回もしたことがないのにとE・H氏らに告げると、今度はE・H氏らが加賀屋中学がなめられとってええんか、いったれと、と、言われ、私は、いくわ、と、いって、N・S氏らが所属するバイキングジュニアという少年野球チームのところのグラウンドにいくと、すでにN・S氏が腕を組んで睨みつけながら待っていて、その前にE・H氏らが、今N・S氏は腰を痛めてるからそこをねらえといわれ、よしわかったといって、ケンカは始まり、私は、N・S氏のボディーから腰めがけて無我夢中でパンチを浴びせました。N・S氏は私の髪の毛をつかんで、何やねんこいつわ、と、言ってきましたが、私はそれでもとまりませんでした。そしてすぐにジャーさんというコーチが止めに入ってきて、ケンカは途中でとめられました。それでも頭に血がのぼっていた私は、そのグラウンドの鉄の柵ごしに、小学5年生のときN・S氏ともうひとりきていたS氏というN・S氏の子分みたいな奴がいて、私はそいつのところに歩み寄り、お前の家にあとで木刀持ちえてしばき回しにいったるからなと怒鳴りあげました。N・S氏の所属していたバイキングジュニアには不良が多く、年下も年上も合わせて、私とN・S氏のケンカをみていたので、そのことがキッカケとなり、ふたたび不良の2軍とつるんでいた私も、加賀屋中学の番長のF・S氏やS・T氏やE・H氏ららの不良グループにふたたび合流して不良の1軍に入ることができました。そして中学3年生に入ってもラグビーの練習がおわったあと、E・H氏らとつるんで、夜には、そっと家を抜け出し、国道26号線の西成区の玉出にいって暴走族のギャラリーによくいっていました。そのときにメインに走っていたのが、数年前に同じ組内の抗争でヤマケン組の幹部をピストルで撃ち殺したM・T君でした。私は、18歳頃までM・T君によく可愛がっていただき、居酒屋に飲みに連れえていってくれえたり、天王寺動物園にM・T君の奥さんと娘らと一緒に遊びに連れえていってくれえたりしました。そのM・T君も殺人罪で懲役20数年の有罪判決を受け、いまも名古屋の刑務所に服役しています。そんな私でしたが、皆周りの生徒が高校進学であわたただしくなりだしたときに私も、高校はいっとかなアカンと思い、中学3年生のときに担任のE先生に話にいくと、君の内申書の評価は10段階の4です。といわれ、地元の住之江高校や西成高校にはいきたくなかったので、私学のK高校に専願で受け、数ヵ月の猛勉強でなんとかまぐれで合格することができました。そしてK高校に通いだしてしばらくして1年の夏休み前のテストが始まる直前にラグビー部の3年のY氏が、私が自動販売機でジュースを買おうとすると、前に立ちふさがりY氏と私は目が合い、Y氏は私にお前ちょっとこいといわれ、ついてゆくと、ラグビー部の部室のほうに連れえて行かれました。そしてY氏ラグビー部の扉をひらけました、すると中にはタバコを吸った部員が4~5人いて、Y氏をみるなり全員がでてゆき、くらい部室で、Y氏が私に、お前のクラスにラグビー部は誰がおるんじゃ、と、言ってきました。私は一人か二人は知っていましたが、名前までは覚えていませんでしたので、そんなこといちいち知りませんよ、と、言った瞬間、私の口もとにパンチが飛んできて、私は口の中を切りました。そしてその瞬間に私はそばにあった鉄の椅子を持ちえてY氏になぐりかかりました。Y氏は落ち着け落ち着け、と、言ってきましたが私はもうとまりませんでした。私はそのすぐあとY氏と胸ぐらのつかみ合いとなり、部室の外にでると職員の先生たちがたくさんでてきて、二人は引き離され、私は病院にいって4~5針くらい口の中を縫いました。それでも私の怒りはおさまりませんでした。そうして先生二人とY氏と私は車で私の実家に謝りにくるときにY氏は先生と笑い話をしているのです。そのときにコイツは1回痛い目にあわなわからんなと思いました。そして実家につくなり私の母親を見ていきなりY氏は泣き出し、私は演技だということがすぐにわかり、家の壁にケリを入れえて2階の自分の部屋にひきこまりました。そうして父親に全てのいきさつを話すと、父は発狂して、夜中にY氏とY氏の父親と先生を呼び出し、はじめは父親がゴルフクラブでなぐりかったところを、亡き母の弟のM・T兄さんがとめましたが、そのあともY氏はどれくらいかわかりませんが永遠と正座をさせられ、私の父からこっぴどく説教をされていました。話は今から数年前へと変わりますが、私が加賀屋中学の前の単独教会でお世話になっているときにN・H氏というラグビー部でスクラムハーフをしていた友達とたまたま遭遇し、久々やなあといって話をしている中で、そのN・H氏と仲が良かったY・O氏とM氏は今何してんのん、と聞くとY・O氏は今東京で会社の社長として頑張ってるわ!すごいやろ!と、N・H氏は言ってきましたので、Y・O氏も頑張ってるなと、私はいいました。つぎに、M氏はどうしてるの、と、聞きました。するとN・H氏がM氏は、一浪して大阪大学に入って大学院までいって今は東京の博報堂で頑張ってるわ!すごいやろ!と言ってきたので、私はめちゃくちゃすごいなあといいました。ジャーナリストの中谷彰宏氏も8年間博報堂でCMプランナーとして働いていましたが、中谷彰宏氏が博報堂の入社試験を受けにいったときに、募集定員90名のところに約6000人の優秀な人々受けにきたと本で読んだことがあっただけに、それだけに今M氏は、博報堂の入社試験をパスしてよく頑張っているんだなと思いました。脳のインプット前期387名の女性の方々に①、N先生、②、皇太子妃Kさまは登場します。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない涙目で微笑む神様の恵みによって支えられえている中をなくしたものを取り戻す強く信じる力で生きてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わりゆく明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、書物のアンダーラインへと移動します。・・・・・→→→