・・・・・[キスの魔術を変更いたしまして、ノートの問いへと移動します。]・・・・・→→→【2000年11月20日、禁欲、目標1年8ヵ月(タバコ・酒)】とあります。・・・・・→→→「★今から8つの話をしていきたいと思います。1つ目は、はじめに、この1年8ヵ月の禁欲というのは、タバコを吸うとか酒を飲むのをやめることを示しているのではありません。私は、もともと29歳の病気になるまで、タバコはたまに1日に1本か2本を吸い、酒はほんのたまに、つき合いで飲む以外はまったく飲みませんでした。べつに体が酒をうけつけないということではありませんでしたが、私の場合、酒を飲んでも何の変化もありませんでしたので、自分から買ってきて飲むということはほぼありませんでした。ここでの禁欲1年8ヵ月とは、マスターベーションをしないということを示しています。この1年8ヵ月の禁欲である、マスターベーションをしないというのは、私が25歳位のときに大山倍達総裁著の『自分に勝て! わが性格改造論』という本を読んで、その本の中に、大山倍達総裁は、戦後の闇市で、雑炊を買って食べました。するとその雑炊の中にタバコの吸い殻が入っていて、大山倍達総裁は、屋台の女主人に、ひどいじゃないか、と、言いました。すると、その屋台の女主人は、あらごめんなさい、これはアメリカ軍の基地から仕入れえたものなので、食べたくなければ食べなくてもいいのよ、と、言われます。そして夜になると大山倍達総裁は、アメリカ兵をボコボコに殴りまわして蹴りまわして、倒してから逃げるというアメリカ兵狩りを日夜行っていました。そしてそのようなことからGHQから指名手配され、行方を追われ、大山倍達総裁は、人里離れえた山奥に身をひそめます。その山奥に身をひそめていた1年8ヵ月の間に禁欲を1年8ヵ月したとありました。つまりマスターベーションを1回もしなかったということです。私はこの『自分に勝て! わが性格改造論』の影響を受け、よし、私も大山倍達総裁のような偉大な人物になってやるぞと思い、1年8ヵ月の禁欲にチャレンジしましたが、いつも4ヵ月か5ヵ月でマスターベーションをしてしまい、最終的には、約5年かけて30歳を少し過ぎた頃に、この1年8ヵ月の禁欲に成功しました。ここで大切なこととして夢精はカウントには入らないということです。これは本に記されえていましたが、夢精は自分の意志ではないので、カウントには入らないとありました。私はこれまでに約10冊位の大山倍達総裁の本を読んできましたので、その話を交えながら大山倍達総裁は、一体どんな人なのか、世界に約1000万人の門下生を持ちえるほどまでに極真空手を大きくした人物の真実に迫りたいと思います。2つ目は、大山倍達総裁伝説その①(子供の頃)、大山倍達総裁は、韓国で生まれました。父と母は儒教を信仰している一般的な家庭で育ち、父は、大山倍達総裁が子供の時に、女を10人つくるほどの人物となれ、と、言われえたそうです。大山倍達総裁は、子供の時になんてことを父は言うのだろうと思えていましたが、大山倍達総裁が大人になって、父の女を10人つくれえるほどの人物になれというのは、それだけの甲斐と、肉体を持ちえるように努力しなさいということだったんだなとわかったそうです。そして大山倍達総裁が子供の頃に、お姉さん夫婦が中国にいっていたことから、大山倍達総裁も遊びに行くと大広場でなにやら人だかりができています。大山倍達総裁は、見に行ってみると、体のごつい相撲取りのような男と、体の細い小柄な男が対決をしていて、皆は、体の大きい方が勝つだろうと思えていたのが、体の小さい男が勝ちました。そう体の小さい男は太極拳の達人だったのでした。そのような戦を大山倍達総裁は子供の頃に目の当たりにします。3つ目は、大山倍達総裁伝説その②(特攻隊試験不合格)、大山倍達総裁は、まだ十代の頃の少年のときに日本にやってきて、その当時は第二次世界大戦のときであり、大山倍達総裁は、特攻隊の試験を受けたのですが、不合格となり、そしてゼロ戦の整備員としてつとめることとなり、若い十代後半の特攻隊員が500kg爆弾をつけたゼロ戦に乗り込み、アメリカ軍の艦船に向けて突撃していく、離陸を見送ったと本に記されえていました。このときの体験がその後、大山倍達総裁の人生を大きく変えることになったのでした。4つ目は、大山倍達総裁伝説その③(大学時節)、その後、大山倍達総裁は、拓殖大学に入学し、柔道部に入ります。そして柔道部に入っていきなり10人の先輩達とつぎつぎにランドリを組まされ、最後の10人目の先輩に絞め技で首を絞められ、落とされます。その悔しさから大山倍達総裁は、鬼のように柔道の稽古に明け暮れ、1年後、大山倍達総裁を落とした先輩を同じ技で落とし、そしてしばらくして、拓殖大学を中退します。その後、妻となるミス渋谷だったと思いますが、とてもきれいな奥さんとなる方との出逢いがあり、一転して猛勉強に励み、今度は見事に早稲田大学の試験に合格し、早稲田大学の制服を着て妻となる方のもとへ再び現れ、彼女を驚かせます。そんな中、妻となる方の家に結婚を申し込みに両親のところに行きました。そこは大学生の学生寮を経営していて、その両親から反対されえた大山倍達総裁は、妻の部屋の壁にこぶしで穴をあけます。この頃から空手を始め出し、そして第1回空手道選手権大会では優勝をおさました。5つ目は、大山倍達総裁伝説その④(弟子の死がキッカケで事件が起こる)、大山倍達総裁は、小さな空手道場を開き若者の育成に力を入れます。そんなときに一人の見込みのある、大山倍達総裁がとても可愛がっていた将来有望の弟子の一人が車に彼女を乗せて運転中に交通事故を起こし死亡します。そのときのショックで大山倍達総裁は、普段飲まない酒をスナックにいって大量に飲み自らの気を紛らわさせようとします。そんなときに一人のヤクザが因縁をつけてきます。そして口論となり、そのヤクザがナイフを持ちえて大山倍達総裁に襲いかかります。大山倍達総裁は、そのヤクザを空手の技でボコボコに殴り回し、そのヤクザは死亡します。しかし、警察に捕まった大山倍達総裁ですが、事情聴取を受け、正当防衛が成立し、釈放されます。しかしながら、そのヤクザには田舎に妻と幼い子供たちがいることがわかりました。大山倍達総裁は、早速そのヤクザの家族の方々に謝りにいったものの門前払いをされえてしまいます。大山倍達総裁は、仕方なく橋の高架下で寝泊まりしながら、考えぬいた結果、その自らが殴り殺してしまったヤクザの妻と子供たちのために、2年間かけて畑を耕し、不自由なくそのヤクザの家族が一生食べていけるぶんの償いを畑を耕し働いて返しました。6つ目は、大山倍達総裁伝説その⑤(ドラム缶事件)、その頃、大山倍達と妻の間には女の子の赤ちゃんが生まれ、順風満帆のように思えていたのですが、夫婦喧嘩が勃発し、大山倍達総裁は、妻に200万円を渡し、2年間家から遠ざかり、大阪に向かいます。そしてはじめはヤクザの用心棒の仕事などをしながら生活をしていたある日、夜中の深夜に空き地でチンピラ約20数名に囲まれます。そのときに大山倍達総裁は、そばにあったドラム缶を思いきり殴りつけ、こう言放ちました。このドラム缶のようになりたい者はかかってきなさい、といいました。周りにいたヤクザは大山倍達総裁が思いきり殴ったドラム缶の音とドラム缶へこみに衝撃を受けます。そして一人また一人とチンピラたちは退散していったのでした。そしてしばらく月日がたったときに、大阪市の生野区の鶴橋を中心として繰り広げられえたヤクザの抗争事件で名をあげた、京阪神殺しの軍団の柳川次郎組長と大山倍達総裁は5分の盃を交わしたのでした。7つ目は、大山倍達総裁伝説その⑥(タクシー事件)、大山倍達総裁は、仕事の用事で東京から飛行機で大阪の伊丹空港へと着き、そこからタクシーを乗ろうとしたときに、その運転手があまりにもおうちゃくな態度だったことに腹を立て口論となりました。するとそのタクシー運転手は無線で仲間を呼び、すぐに5~6名の鉄パイプを持ちえた仲間が走ってきて、大山倍達総裁に襲いかかってきました。その時に大山倍達総裁は、大声で、ちょっと待てい、と、叫びました。そしてその連中らと話し合いをして大山倍達総裁が内情を話し、一件落着となりました。8つ目は、大山倍達総裁伝説その⑦(中東の国王からの招待状)、ある日、東京池袋の極真空手の総本部に、ある中東の国王から大山倍達総裁宛に一通の手紙が届きました。その内容は、国王の息子の皇太子が大山倍達総裁の大ファンなので是非とも一度遊びに来てほしいという内容でした。大山倍達総裁は、わかりましたという返事の手紙を送り弟子を何人か連れえて、飛行機で中東のその国に着きました。そして豪華な料理のおもてなしを受け、それで帰るのかと皆は思えているときに、大山倍達総裁は、皇太子に対して、かかってきなさい、と、言いました。そして皇太子は大山倍達総裁にかかっていくと、空手の技で殴り回され、蹴り回され、皇太子は倒れえてしまいます。ところが大山倍達総裁は、立ち上がってもう一度かかってきなさい、と、言いました。そして何とか皇太子が立ち上がってかかっていくと、ふたたび空手のパンチとケリで皇太子はボコボコにされ、倒れてしまいます。しかし大山倍達総裁は、また皇太子に立ち上がりなさい、あなたの国を守るために、あなたの未来のために立ち上がってかかってきなさい、と、言いましたが、皇太子は立ち上がることはできませんでした。そして最後に皇太子を大山倍達総裁は呼んで、織田信長と今川義元の桶狭間の合戦で織田信長が勝利した作戦を述べ伝え、大山倍達総裁は、日本へと帰国いたしました。この桶狭間の合戦について山岡荘八歴史文庫で知り得た、私の知識で解説させていただきます。今川義元は静岡県から約3万人の兵を引き連れえて、大名行列で京都を目指していました。それを迎え撃つ織田信長の兵は約3000人あまりでした。皆が勝ち目はないと思えている中でも織田信長の側室の濃姫は、こちらが3000の兵で今川義元の兵が30000ですれば、1人で10人を討てばよろしいでしょうと1人前向きでした。ポジティブと言ってもいいでしょう。さすがに岐阜のマムシの斎藤道三の娘だけのことはあります。そして戦の前夜に織田信長は、家臣らを集め、こんな浪曲を唄います。それは、『下天の地をくらぶれば夢幻の如くなり』この意味は、地球の誕生した月日からすれば人間の一生は一晩の夢みたいなものですよ、という意味です。そして織田信長の家臣の一人羽柴秀吉のちの豊臣秀吉が商人へと変装し、桶狭間で休憩している今川義元らに大量の酒をふるまい、酒で酔っぱらって疲れえたところを、織田軍は、奇襲攻撃をかけ、今川義元の首を取りました。織田信長は、このときに今川義元の首を取った兵士よりも、今川義元がいる場所を突き止めた兵士により多くのおカネを与えました。そんな織田信長ですが、天下統一を目前にして、羽柴秀吉が四国の高松城を水攻めしているさなかに、100人あまりで本能寺に泊まっていました。そこを明智光秀という織田信長の家臣が、敵は本能寺といって、約1万人の兵で本能寺を攻めて火の海としました。織田信長は、最後まで弓矢を打ちながら戦を楽しみ、最後は切腹して、炎の中に突っ込み亡くなり、織田信長の首は見つかりませんでした。そして燃え上がる本能寺の脇で一人眠るように死んでいるのが濃姫だということは誰も気づかなかった、と、ありました。今まで述べた事は、意味があり価値があり、ノートの問いを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、このように今までは大山倍達総裁の伝説を中心にお話しさせていただきましたが、戦後アメリカ兵狩りを夜な夜なくり返し、GHQからその身を追われえた大山倍達総裁は、人里離れえた山奥へと身を置きます。そして一週間に一回米やみそなどの食材をはこんでくれえていた人が数週間何らかの内情でこれなくなり、大山倍達総裁は、飢えをしのぐために、蛇、ウサギ、バッタなどをとらえて飢えをしのいだといいます。又、人恋しくなった大山倍達総裁は、片眉毛を剃り落とします。そうすればはずかしくて、人里には出ることができないからです。そして1年8ヵ月の禁欲をします。私はそこの1年8ヵ月の禁欲をしたというところを読んで私も大山倍達総裁のようなカリスマ的な人物になりたいと思いチャレンジし、25歳くらいから始め、いつも4ヵ月、5ヵ月で抜いてしまい、しっぱいしながら、再チャレンジをくり返し、30歳を少し過ぎたところで1年8ヵ月の禁欲(マスターベーション)をしないということに成功したのでした。これは私いわく、男なら一度はチャレンジしてみよ、という心境です。しかしながら、さまざまな政治家や事業で成功している人々の話や文面を読む限りでは、一週間に1回ペースで1回抜くのが、マスターベーションやSEXをするのが、体にはいいようです。話で聞くところ人間の体内の毒素は下腹部にたまりやすく、精子もずっと出さないでいると、体内で死んでしまうそうです。そのようなことから一週間に1回抜く、マスターベーションをするのがよいみたいです。しかし、大山倍達総裁がやめていく門下生に内情を聞くと、彼女ができましたから、結婚しますからという意見が圧倒的に多かったといいます。大山倍達総裁いわく、自分に勝つということは、いわば『性』との闘いに打ち勝つことであると言われています。欲望も上っていけばきりがありません。日本が江戸時節に、徳川二代、三代将軍に剣術を教えていた先生に、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)先生という方がいました。その柳生宗矩先生の言葉に、『人に勝つ道探さずに、己に勝つ道探すべし』という言葉がありますが、大山倍達総裁は、わかりやすくいうと、マスターベーションをしなければ心配ないと言っています。そして最後の言葉として、大山倍達総裁著『自分に勝て! わが性格改造論』の最後に記されえていましたが、自分に勝て、そうすることができればどこの社会に出ていっても、もう何も怖いものはない、と、述べられえていました。最後の最後に私から申し上げたいことは、この『性』の力というものは凄まじいもので、欲望の中でも1、2位を争うほどといっても過言ではないかもしれません。できればこの1年8ヵ月の禁欲は、十代、二十代、三十代までの元気なときに試みてほしいと思います。『性』の力というのは子供が産まれえてくるほど凄まじいものです。そこで、この禁欲をして一体何になるのかという、ご意見もあるかとは思います。そんなときは私はこう答えます。この凄まじい『性』というエネルギーと申しますかパワーと申しますか、その力を仕事や勉強やスポーツに転換させて活かしてさらなる飛躍へとつなげてほしいというその一言につきます。またもや長い文章となってしまいましたが最後までご覧いただき誠にありがとうございました。また、つぎのノートの問いでお会いいたしましょう。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない涙目で微笑む神様の恵みによって支えられえている中でなくしたものを取り戻す強く信じる力で生きてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わり明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、書物のアンダーラインへと移動します。・・・・・→→→