・・・・・【悪いことをすると必ずどこかで返ってくる。良いことをすれば必ずどこかで返ってくる。】とあります。・・・・・→→→「★今から9つの話をしていきたいと思います。1つ目は、因果応報についての話について、占の世界では、このノートの問いにある。何かをすれば、何かが返ってくる。ということを因果応報と呼びます。自分の放った矢が地球を1周して何かの形になって返ってくるという意味ですが、この因果応報は、あまりにも有名な法則で、昔の先人たちからの体験や経験からも真実であることが人伝えに伝わり今日では、子供も含めて誰もが知っている法則です。私も色々なジンクスに興味を持ちえています。たとえば動物ですと、猫を殺せば7代たたるという言葉を少数の人々は耳にしたことがあると思いますが、近頃、猫を数十匹飼育している奥さんから、黒猫は代を運ぶといういい伝えがあるとききました。そういえば、クロネコヤマト宅急便も黒猫がメインキャラクターデザインとしてトラックの側面などに描かれえています。又、三毛猫のオスは数万匹に1匹といわれ、昔の漁師は漁にでるときに獲物の大漁祈願と安全のゲン担ぎとして、船にのせてもちいられえていたといわれえていますが、私が昔にテレビを観ていると1匹のよく太った三毛猫がでてきて、その三毛猫の値段に驚かされました。何と二千万円もするのです。でもそれは十数年前に観たテレビでしたが、現在ではその猫を数十匹飼育している奥さんの話では三毛猫のオスは五千万円するというのでさらに驚かされました。あらゆるジンクスや法則について少し考えてみたいと思います。2つ目は、相互因果(そうごういんが)の法則についての話について、これはジャーナリストの中谷彰宏氏の本で学んだのですが、さきほどの因果応報は、科学的にも証明されえていて、現代科学の世界では相互因果の法則と呼ぶそうです。中谷彰宏氏の本の中で、本読みをすると早い人で半年、遅くとも10年以内には何かが返ってくると記されえていました。私もただ単に本を読んで読み終わった本には日付とサインをして、大切に1巻1巻保管して12年間で約1500冊のあらゆるジャンルの本を読んできて、それが今まさにこのキペラの精神論という形になって返ってきたというか、当初は何か本を1冊でも出版できればいいなと思えていたことが、そのスケールをおおきく上回りインターネットの世界のブログとして今こうして更新していけるという偶然に偶然が合い重なり、アドバイザー様や日本の周囲様、そしてイギリスの周囲様の強力なバックアップのおかげで今もつづけることができ、当初は聖書の2000ページをログインできればいいなと思えていましたが、今ではもうあと少しで12000に到達する予定です。12000ページといえば、実に聖書6冊分のボリュームとなっています。このように一般的には、何かをすれば何かが返ってくるということを占いの世界では因果応報と呼び、そして科学的には相互因果の法則と呼ぶのですが、このノートの問いにある、悪いことをするとどこかで必ず返ってくる。良いことをすれば必ずどこかで返ってくる。という問いに対して私なりに疑問に思うことも多くありますので、その点をのちほどくわしく話していきたいと思います。3つ目は、風水の話について、風水の占いのことについてはゲッターズ飯田氏の本で学びましたが、10年周期でよい年が4年あって、その4年の中の2年はめちゃくちゃよい年であり、この4年のよい年以外はそれでは一体何なのかと申しますと、それは勉強の時期だそうです。占いでも数年前になくなりましたが、六星占術の細木数子さんは、占い本では世界一売れえたギネス記録をもちえる、つまり世界一の占師と呼ばれえていました。その細木数子さんの本を10冊ほど読んでわかったことは、人生には、生命を奪い去る時期、つまり運の悪い期間があり、これを四柱推命では、天中殺と呼び、細木数子さんの六星占術では、大殺界と呼びます。確かに人間にはその年ごとに今年は良い年だったな、悪い年だったなというのは誰しもありますが、その生命をも奪い去る宿命大殺界を乗り切る方法があると細木数子さんはいいます。それは何か、それは『徳』をつみ重ねていきなさいということです。つまりここでの『徳』とは、先祖供養をしなさいということなのです。そうしていると宿命大殺界という生命をも奪い去る時期を乗り切ることができるとありました。私も30歳頃から7年間は盆と正月にはお墓参りや父方の祖父、祖母の命日には法事をよくしましたが、この10年間はほとんどそれがなくなってしまいました。その10年間とは、私がクリスチャンになって今年の6月で丸10年になるのですが、それが関係しているということは一切ありません。今からは、しばらくさきほどの私が疑問に思うジンクスや法則について少し考えていきたいと思います。4つ目は、ある管工事社長の死についての話について、これはもう20数年前になるでしょうか、テレビを観ているとたまたまドキュメントでやっていたのですが、ある下請けの管工事の下請けの社長が元請の会社の前で監督連中が見ている中で、ガソリンか灯油をかぶって焼身自殺をするという大変痛ましい事件と申しますか、事故と申しますか、魔が差したと申しますかよくわかりませんが、ドキュメントをずっと注意深く観察して観ていくと、その管工事社長が酒で酔っぱらって子供と空手ごっこをしているホームビデオが映し出されえていて、そして奥さんの首にはゴールドのネックレスが服の外にでるようにしてかけられえていました。そしてその時に、最後の管工事社長の遺品として、メモ帳が6冊か7冊残されえていました。そのときに私ははっとしました。この方は今までの人生でたった6、7冊のメモ帳しか残さなかったのかと思いました。そしてよそに飲みに行って借り入れをつくり、仕事が途切れえたことに腹を立てて、元請け会社の真ん前で焼身自殺を腹いせでしたのではないかと考えました。私はそのときにその遺品であるたった6、7冊のメモ帳をみて、今まで何をしてきたんですか、と、そう訴えました。実話、この管工事社長の死は、私の反面教師でもあるのです。私はそういう死に方だけはしたくないと思い1冊でも多く本を読み、1冊でも多くノートを残そうと誓いました。でもこの管工事社長には、妻や小学生くらいのかけがえのない家族がありました。このことも、因果応報や相互因果の法則だといえるのか、そんなにこの管工事社長は元請け会社の前で痛ましい焼身自殺をしなくてはいけなかったのか、何かに追い詰められえていたことは確かですが、よそに飲みに行くくらいは、どこのサラリーマンでも、現場の職人でもすることです。それを言葉ひとつで悪いことをすれば必ずどこかで返ってくるというだけの言葉で片づけられえるのでしょうか、この管工事社長はそんなに悪いことをしたのだろうかと今でも疑問に思いますし、今でも私の反面教師でもあるのです。5つ目は、チンドン屋の話について、このことは数年前に私の母から聞いたのですが、ある東京大学を卒業したサラリーマンと英語の先生をしている母との間に一人の男の子が誕生したのですが、この男の子が少し変わっていて、将来は、チンドン屋になるというのです。チンドン屋とは、ラッパを鳴らしたり、太鼓をたたきながらピエロの格好などさまざまな格好をして、パチンコ屋の新装開店や新しいお店の宣伝などを、練り歩きながらする人たちですが、商店街のところで私も昔何度か見たことがあります。トンビが鷹を生むという言葉がありますが、このケースの場合はトンビがアヒルを生むといってもいいのではないかと考えられますが、どんな職業でも命をかけてしていれば、又、家族を養うためにしているのなら何の文句のつけようもありません。たとえばカトリックのシスターのマザーテレサは、死を待つ人の家をつくり、インドのスラムで路上に倒れえている人々をその死を待つ人の家につれえてゆき、新しい衣類着せてあげ、温かいスープを飲ませてあげて看病しました。又、ゴミ箱に捨てられえている赤ちゃんを拾い上げて助けたことがキッカケで、子供の家をつくり、身寄りのない子供達を育てあげました。そして十数年がたち、その子供の家から出た子供たちが、つぎつぎと弁護士や医者となっていったのです。マスコミの取材に対して、マザーテレサは、特別な事は何もしていません、ただ本の少しの愛情を降りそそいであげただけです、と、答えました。そのような実績が評価され、マザーテレサは、ノーベル平和賞を受賞するのですが、確かにマザーテレサは偉い人であるというのは確かな真実ですが、露店で家族の為にタコ焼きを焼いて必死で家族を養っている人も偉い人です。これはその規模の差はあってもどちらが偉いといわれれば、どちらも偉いとしか答えがでてきません。しかし、愛について長年研究してきたマザーテレサは、確かな奇跡を起こしたということは紛れもない確かな事実であるのです。このマザーテレサが子供に対しておこなった、少しの愛情を降りそそいだことは、確かに因果応報、相互因果の法則にあてはまります。このマザーテレサの場合は良いことをすれば必ずどこかで返ってくる、それが愛を通して子供たちがつぎつぎと弁護士や医師になったという奇跡です。6つ目は、ある東京大学卒の父親の息子殺害についての話について、これは私が十数年前にテレビドキュメントでしているのを観ました。ある東京大学を卒業した父親は、妻と団地に住んでいました。そして一人の男の子が産まれました。その産まれえてきた子に父親は自分と同じ名前をつけ、たいへん可愛がり、子供は父親の期待にこたえて、小学生の時には学級委長もつとめましたが、ところがその子供が中学に入りイジメに遭い、あまり学校にいかなくなりました。あるときその息子の友達が団地に遊びに来ました。すると雨も降っていたせいで、その友だちの服は濡れえていました。そのときに息子は父親にむかって、おい、Tシャツを買ってこい、と、言って、父親はわかりましたといってTシャツを買ってきて息子の友達に渡しました。またある日の夜に息子は女友達とホテルに入り、父親に電話をして、SEXのやりかたを教えろといいました。父親は、その時に、本を読みなさい、と、いいました。そして事件は起こります。ある日の朝にその父親は、息子を金属バッドで叩き殺してしまったのです。警察の事情聴取で、父親は犯行の動機として、息子が学校に行かなかったからです、と、答えました。その父親が崇拝していたのが戦国武将の織田信長だったのです。ひつの餅を織田信長がたたいて、豊臣秀吉がその餅をこね、最後に食べたのは徳川家康というたとえがありますが、鳥に例えると、信長は、鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、秀吉は、鳴かぬなら鳴かせてみましょうホトトギス、家康は、鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギスとも例えられえるようでした。その織田信長を崇拝していた父親は、本当に、最後は学校にいかない息子をたたき殺してしまったのです。このことは、因果応報や相互因果の法則にあてはめるよりも、育てたように子が育ち、最後は魔が差したとしかいいようがない悲しい事件でした。7つ目は、ある1級建築士の殺人事件について、このことも今から十数年前に起った事件ですが、ある1級建築士の試験に合格し、自宅で事務所を開き営業していた青年ですが、ある時に人が集まる駅に刃物を持ちえて、つぎつぎと人を刺してゆき、数名が死亡した事件ですが、警察の取り調べに対して、その1級建築士の青年は、努力しても報われなかったので人を殺しました、と、供述しました。このことについては、確かに努力して1級建築士の資格までとったことに対しましの努力は事実ですが、そのあとがいけなかったと思います。自営で無理だったなら、他の建設会社に働きにいっていれば、こんな事件は起きなかったかもしれません。このことは、良いことをしたものの、悪い形で自らに返ってきた例ともいえます。一言、運が悪かったとしかいいようがありません。この事柄からは、良いことをしてきたからといって、良いことが必ずしも返ってくるとは限らないというのがうかがえます。つまり、悪いことをしてしまったことが、良いこととなって返ってくるということもありうるということです。8つ目は、ある少年の死についての話について、このことは十数年前にテレビのニュースで観たのですが、中学生くらいの少年が本屋で漫画本を盗み、それが店員にみつかり、その少年は電車の踏切の方に逃げてゆき、急行電車にひかれえて死亡したという痛ましい出来事です。マンガの本は500円も出せば買うことができます。この少年は500円のマンガの本を盗んだために、死という償いを受けましたといえば、簡単に盗んだ奴が悪いのだからといって話は終わりですが、私はそうは思いませんでした。悪いのはその少年を追いかけた大人の店員です。そんな線路のある危ないところで追いかけていけば、子供なのだから逃げるのは当たり前の事です。それもふみ切りという危険な場所でおいかけていって、電車にひかれれば死ぬのはわかりきったことです。それをわかったうえでそうして追いかけて、結局その少年を死へと追い込んだのですから、しかし、このことは賛否両論はあるかと思います。でもまだ子供じゃないですか、それも逃げた先には踏切があって、ビュンビュン急行が走り抜けるところを追いかけていくのは、殺人行為といってもいいと思います。この少年は500円のマンガの本で、このさきの果てしない可能性を消してしまいました。なにより悲しんだのは家族だったと思いますが、盗んだほうも、追いかけたほうも悪いといってしまえば、それ以上何もいうことはありません。9つ目は、ある新聞配達員の女性の死について、このことは、十数年前にある人から聞いたのですが、電車の踏切のところで新聞配達員の女性が1冊か2冊の新聞を落としてしまい、その新聞を拾いにいって急行電車にひかれえて死亡しました。私は世の人々の為に情報を、それも一番底辺のところで支えている方がたかが100円か200円のために命を犠牲にして、新聞を拾いにいってひかれえて死ぬという。これほど痛ましい事故もないなと思いました。確かにその女性は仕事に命をかけていたのでしょう。でも、100円か200円の新聞拾いにいって急行電車にひかれえて死ぬという。これは因果応報といえるのでしょうか、相互因果の法則といえるのでしょうか、それとも魔が差したといえるのでしょうか、誰が一体悪いのでしょうか。この痛ましい悲しい出来事に命の尊さをつくづく考えらされました。今まで述べた事は、意味があり価値があり、ノートの問いを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、今から約10年位前に宮城県で大地震がおこり、津波で何万という方々が亡くなったときに、新聞をみると、神はやはりいなかった、とありました。カトリック、クリスチャン合わせて1パーセント未満の日本であるがゆえの発言であるなと思いました。これまでに地球の法則である因果応報や相互因果の法則について話をしてきましたが、これはあくまで地球の法則であります。この因果応報や相互因果の法則をも上回るのが宇宙の法則である神の摂理です。神の摂理とは、(神様の意志、神様の意図、神様の御計画)という意味ですが、聖書の創世記にあるのですが、ノアの箱舟の話があります。天におられえる父なる神は、ノアの家族と全ての動物のつがいを箱舟に乗せて、40日間大雨を降らせます。そして箱舟に乗ったノアの家族とつがいの動物以外の全ての生命を奪い去ってしまうのです。神は生命を誕生さすこともできれば、息の根とめることもなさるのです。色々と話してきて頭がこんがらがっていますが、一体私は何がいいたいのか、何を信じればいいのか、何が救いなのか、その答えは、聖書の福音箇所にこうありました。『主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。』(使徒言行録16:18:37)というこの御言葉を結びとして伝えたかったのです。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない涙目で微笑む神様の恵みによって支えられえている中をなくしたものを取り戻す強く信じる力で生きてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わりゆく明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、書物のアンダーラインへと移動します。・・・・・→→→