・・・・・【脳のインプット後期190名の女性の方々】・・・・・→→→「51、・・・・・【第51グループ】・・・・・→①、私が25歳くらいのときにQ2ダイヤルで知り合った、西成区のY・Aさんという女の子です。・・・・・→②、私が36歳位のときに大阪ミナミのキャバクラで知り合ったY・Aさん似の20歳くらいのキャバ嬢です。・・・・・→③、私が36歳位の時に住吉の精神科の診療所の待合席ですわっていた25歳くらいのY・Aさんを大きくしたような感じの女の子です。今まで述べた事は、意味があり価値があり、キペラを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、・・・・・→①、加賀屋中学の私の年の番長のF・S氏と25歳くらいのときにQ2ダイヤルをしていて、知り合ったのがY・Aさんです。カラオケに行ったり神戸の海に遊びにいったりしましたが、その当時AV裏の入手ルートを発見した私は、そっちのほうに走ってしまい別れえることになりましたというか、特に友達以上彼女未満の関係でした、そして私が29歳の冬に急性扁桃炎をこじらせ十二指腸潰瘍とパニック障害になりました。そして30歳を少しすぎたときに、Y・Aさんの友達のRという女の子とミナミのキャバクラで遭遇し、Y・Aの連絡先教えたるわと言って、数年以来の再会をしました。そのときに言われえた事は、Y・Aさんから元気がなくなったねといわれました。Y・Aさんの家族は、はまゆう、というスナックを以前していてお母さんに話を聞いてみるとY・Aさんは私の10歳年下だったということがわかり、又、宮崎県の出身であるということもわかりました。でも、私が再会したときには赤ちゃんがいて、旦那は少年院入っているといっていました。2~3回会って少し引っ越しなどを手伝っていて、Y・Aさんが胃が痛いというのでミナミの薬局で胃薬を買ってあげ、Y・Aさんの家の前でほっぺたにキスを私が一回して、それが最後となりました。・・・・・→②、私が2回目の任意入院で精神病院に3ヵ月入院していて、退院後にミナミのキャバクラで知り合ったのがY・Aさんとよく似た女の子です。この女の子には、引っ越しするからとか、家で飼っているプードルがフィラリアになったしまったとかいってこられましたが、私は、すでにYちゃんのときに引っ越しで親のカネを盗み60万円してあげたりして、痛い目にあっていましたので、その手には乗らず、犬に関しても、それならなぜ犬がフィラリアになるまえに予防しておかなかったんやといいました。そしてしばらくしてこのY・A似のキャバ嬢の女の子はネイルの仕事するといって、最後は、もうごめんしっしっというかんじで振られました。・・・・・→③、私が2回目の任意入院で3ヵ月精神病院に入院していて、退院後に住吉の診療所に通っていました、そこで待合席に座っていたY・Aさんを大きくしたような25歳位の女の子です。噂できくと覚醒剤の後遺症であるフラシュバックで通院していたそうです。とても可愛かったです。①、は脳のインプット前期387名の女性の方々に登場しますが、あとの②、③、は登場しないはずです。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない涙目で微笑む神様の恵みによって支えられえている中をなくしたものを取り戻す強く信じる力で生きてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わりゆく明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、【第52グループ】へと移動します。・・・・・→→→