・・・・・[キスの魔術を変更いたしまして、ノートの問いへと移動します。]・・・・・→→→【20歳~24歳まで三菱サラリーマン生活】とあります。・・・・・→→→「★今から4つの話をしていきたいと思います。1つ目は、短大を卒業後に三菱の子会社に入ることについての話について、私は高校3年生の終わりからM・Hさんという1年8ヵ月つき合っていた彼女がいたのですが、遊びに浮かれえてN短大の最後の半年に職員の方に呼ばれ、君は今現在28単位しか取っていないので、このままだと卒業はできませんよと告げられました。周りの友達に聞くと、62単位以上取らないと卒業はできないよということを教えていただき、このままではいけないと思い、M・Hさんに内情を話し、かたっぱしから授業を受け、半年間死に物狂いで勉強してなんとか38単位とることができ、合わせて66単位で卒業することができました。そのときに周りの友達が大阪G大学の編入試験を受けるという人が少なからずいて、私も論文試験だけでしたが、大阪G大学の編入試験を受け、見事に不合格となりました。そんなときに親や下請けの社長をしていたM・T兄さんらの推薦で、三菱の子会社に契約社員として入れえていただくことになり、私は、三井、三菱、住友の財閥の一つである三菱かと思い、又、友達の助言や地元の先輩の8つ上のKさんの助言もあり、まず朝は一番に出社すること、そして人の10倍の努力をすることを心に決め挑みました。でも朝一番に出社するということは、前日に早く寝て少しの努力をすればできますが、人の10倍の努力はできないというある会社の社長がいましたが、これは大きな間違いです。例えば、その社長が言うには8時間働いたとして24時間働けば人の3倍までの努力はできるけど10倍は無理というのです。しかしながら今の私のように1日に1㎞も歩かない者と、シドニーオリンピックでゴールドメダルをとった高橋尚子選手は、大会前に1日70㎞走ったといいます。その時点で私と高橋尚子選手とでは1日に70倍もの努力の差が生じるのです。又、あとから詳しく話しますが、私は23歳のときから35歳まで途中病気でなどで読めないときもありましたが本を年間120冊ペースで読んでいました3日に1冊のペースです。ところが月に1冊しか本を読まない人ですと私とでは1年間に10倍の差が生じ、10年間で100倍の差が生じるのです。でもアメリカのエジソンは生涯で1万冊の本を読んだといいますので、私と、エジソンでは約10倍の努力の生じます。1日に8時間働くといってもぼーっとして、8時間なまけている人と、ガムシャラにつぎつぎと仕事を集中してこなしていく人とでは内容の濃さが変わってくるのです。同じ広さの畑でも1人の人は1時間で耕し、1人の人は10時間かかって耕すのとでも、努力の差は10倍の差が生じてくるのです。そのようにして私は朝は一番に出社することと人の10倍の努力をしてやるぞという志で三菱の子会社に入れえていただいたのでした。2つ目は、三菱の子会社に入って2年半阪神淡路大震災の復旧工事の仕事をすることについての話について、私は会社に入ってまず2週間の研修を経て、そして半年間は兵庫県の明石市の現場に監督員候補として従事しました。そのときに現場代理人だったYさんと監督員のNさんがいて、私は、あるていどしなければいけないことを教えていただき、そして一人で現場に出さされ、工事の写真などを撮っていました。そして仕事が終わったあとにそのYさんとNさんの晩御飯までつくらされえて、慣れえていないせいもあって少しノイローゼぎみにもなっていました。ある日曜日に実家に帰って月曜日に出社するとYさんから、お前今日の仕事のランドリわかってんのかと怒鳴られ、又、酒で酔っぱらったNさんからは、いきなり韓国のキムチには蠅がたかっとるといわれ、私はその頃せまりくる1999年の終末説が頭の中にあったので、まずYさんには、ガラスのコップを投げつけて、謝らんかいといいました。そしてNさんとは、お前どこのキムチに蠅がたかっとんじゃと怒鳴りあげ、私はつかみあいのとなりました。Nさんは、悪かった実は、K課長が言っとってんといって、俺が悪かった許してくれとふたたび謝ってきました。K課長は共産党支持派の方で、その後、神戸の三ノ宮や元町を中心にこのK課長に私はつけられ、土日も休みがなく朝から仕事で私だけが現場に出さされ自分たちは、現場事務所で事務をするという、そして週に3日くらいは、寿司や焼肉やテッチリをおぐっていただいたあと、夜の三ノ宮へと2~3軒飲みに連れえていっていただくのはいいのですが、現場事務所の引っ越しを通常3~4人でしなければいけないところを私一人でさせられたりして、私は過労で熱を出し、鼻血を噴き出し、倒れ、救急車ではこばれえるということが2回ありました。それでも私はもう死んでもいいという決意で食らいついていって仕事をガムシャラにしました。K課長からは厳しくもされましたが、優しくもされ、K課長の自宅の板宿に何回も呼ばれごちそうになって、そしてK課長から教えていただいたことは、山よりでっかい獅子は来ん、という言葉ですが、この意味は、この世で起った出来事はこの世で解決できるという意味ですが、のちにこの言葉は、京都大学卒で大蔵省の事務次官になって、そして首相となった池田勇人首相の言葉であったことがわかりました。3つ目は、三菱の子会社の本社に呼ばれ本社勤務になることについての話について、私は2年半の阪神淡路大震災の復旧工事が終わり、本社に呼ばれ本社勤務になることになりました。そして何をしていいのかわからずにいたところ、品質安全管理室のS次長が私のもとにやってきて、君なあ、よう現場でケンカしとったみたいやけどなあ、その歳でケンカ強いとか言ってれば、陰でアイツアホとちゃうかと言われえるぞと言われ、すかさず私はS次長にどうすればいいですかと尋ねました。するとS次長は、本を読みなさいと言ってくれました。しかしながら一人だけの意見では、確信をもてなかった私は、地中線部の全ての管理職の方がたにどうすればいいですかと訪ねていくと皆が本を読めというのです。そのときに本を読むということは、良いことなんだなという確信をもちえることができました。本読みは、トレーニングでいえばランニングをしているようなもので、脳の記憶力が強くなるのです。しかしながら、一体一年間に何冊位読めばいいのかという目安みたいなものがわからずにいました。そんなときに地元の先輩のS・A君が、総会屋の大物の小池隆一氏は、警察の留置所内で7ヵ月で60冊の本を読んだということを教えていただき、私は、よし、私も良い意味も悪い意味も含めて、小池隆一氏のようなビッグな人物になってやるぞと思い、23歳の時に1年間に120冊の本読みに、ふみ切りました。もちろん本社勤務では本を読んだりすることはできませんでしたので、仕様書などの関係書類をノートに記したり、図面をノートに記したりしながら勉強し、行き帰りの電車の中や自宅に帰ってから、本読みとワープロのタイピングなどをしていて1日に17時間勉強するという日々が1年半ほどつづいたのでした。4つ目は、本との出逢いについての話について、私はさきほどのS次長や管理職の方々から本を読めといわれ、どういう効果があるのかはまだわからずのまま、ガムシャラに、古本屋を回っては、大学教授の本や、事業で成功した人の本や、スポーツで有名になった人の本や、芸能界で有名になった人の本や、歴史小説や、自己啓発などありとあらゆる分野の本をかたっぱしから買いあさり、無我夢中、つまり本の夢の世界へと入ってゆきました。S次長からは、中国の司馬遷の史記1巻をプレゼントされ、読んでみましたが、難しい漢字が多くあまりよくわかりませんでしたが、本屋に行って残りの4巻も買って合わせて5巻全てを読みました。するとその中で儒教の開祖である中国の孔子が一番愛した勉強のよくできる顔回が若くして、病のために亡くなり、孔子は深く悲しんだという文面がありました。それから数年後に、たまたま古本屋に孔子の論語があったので、買って読んでみると、なんとそこには、孔子の弟子の顔回がわかくして病で死んだことに孔子は深く悲しんだと記してあったのです。私は記憶をさかのぼり、まてよ、ちょっとまてよ、この文面は確か中国の歴史学者の司馬遷の史記にも記されえていたはずやったと思い、もう一度、司馬遷の史記を全5巻を読んでみると、やはり、この孔子が愛した勉強のよくできる顔回が病気で若くして亡くなったことに孔子は深く悲しんだことが記されえていたのです。私は、その司馬遷の史記と、論語を机の上に置いて考えました。司馬遷は今から約1000年前の中国の歴史学者です。そして儒教の開祖の中国の孔子は今から約2500年前の人です。今から約1000年前の中国の歴史学者の司馬遷が、論語を読み、顔回の死について孔子が深く悲しんだということを自らの書物に記し、孔子の論語にも勉強のよくできる顔回が若くして病気のためにこの世を去ったことに対して孔子は深く悲しんだことが記されえているということについて、現世に生きる私は、今から約1000年前の中国の歴史学者の司馬遷のもとへタイムスリップし、そして、今から約2500年前の儒教の開祖の中国の孔子のもとへタイムスリップし、この孔子が一番愛した弟子の顔回が若くして病気でなくなったことを深く悲しんだというまぎれもない事実を知った私は、この古典の書物の軌跡の真実に、歴史の重圧に、押しつぶされそうになり息をしていることがやっとという摩訶不思議なファンタジーの世界にとけ込んでゆきました。そして落ち着きしばらくたって、これはすごいことだなと、まざまざと思い知らされえたのでした。そして私をさらなる本の虜にさせていったのでした。今までの述べた事は、意味があり価値があり、ノートの問いを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、そのようにして本社勤務をしている23歳のときに対決のときが訪れます。O課長から三菱の若手社員7~8名と2級土木施工管理技術士の国家試験を受けてこいというのです。私はこれまでコテンパンにけなされ、いじめられ、あざけ笑ってきた連中を絶対に許せませんでした。しかし3流の文系のN短期大学をなんとか現役で入り現役で卒業したといっても、相手は工業大学や高専を出てきた理系のエリートたちです。その時に私は、2つの策略を立てました。一つは、イベンダーホリフィールドのメンタルトレーニングです。アメリカのイベンダーホリフィールド選手はプロボクシングでクルーザー級で世界統一チャンピオンとなり、ヘビー級でも世界統一チャンピオンとなりました。そのイベンダーホリフィールド選手が元世界チャンピオンのマイクタイソン選手との戦いの前夜の記者会見で、イベンダーホリフィールド選手はマスコミ陣に対して、私は必ず勝てますといいました。その理由を尋ねられえるとイベンダーホリフィールド選手は、私は全ての準備をしてきたからです。と、答えました。イベンダーホリフィールド選手は超一流のコーチのもとで何百ラウンドというスパーリングをし、指導を受け、超一流の栄養士の食事を食べ、ウエイトトレーニングはボディービルの世界チャンピオンのアメリカのドリアンエイツから指導を受け、自らも毎日10㎞のランニングを行ないました、そして試合では、イベンダーホリフィールド選手の友達のMCハマーの生演奏の歌で入場し、試合のゴングが鳴り響きます。そしてイベンダーホリフィールド選手が有利に試合をはこんでラウンドを重ねていきましたがマイクタイソン選手に耳を噛み切られ、イベンダーホリフィールド選手が反則勝ちで勝利をおさめたのです。この全ての準備をするというのは、実はアメリカ海軍の戦略で、たとえば裸で戦場に行けば、1秒か2秒で銃やライフルなどで撃ち殺されえてしまいます。そうならないために、日頃から厳しい訓練を重ね、その中で選ばれえた兵士のみが防弾チョッキを身にまとい、機関銃に弾を込め、トランシーバーも持ちえ、数日分の食料と水も装備し、十分な作戦をねってはじめて戦場へと出てゆけるのです。私は、このイベンダーホリフィールド選手のメンタルトレーニングに習い、2級土木施工管理技術士の教材を全て読み、過去10年の実例集の学科試験の問題を、解答シートを何百枚もコーピー機ですり、何千何万と出題を解き、講習会も9回あったのですが全部出席し、そして2つ目は、実地試験ですがこれは、東京大学教授の野口先生の『超勉強法』の東大合格英語勉強法を参考にしました。この勉強法とは、中学1年生から高校3年生までの英語の教科書を日本語に訳し、20回読めとありました。そこでもしわからなかったとしても、一つがでてくればあとは芋ずるしきでどんどんでてくるとありました。私は、2級土木施工管理技術士の実地試験では、過去10年の問題を20回読み、40回読み、80回読み、知らぬ間に数百回読み込みました。そして試験の当日にテストに望むと、学科試験でも実地試験でもよく似た問題が多く出てきました。そしてしばらくたって自宅マンションに一通の葉書が届き、2級土木施工管理技術士試験合格とありました。私は体がふるえ思わず神様にありがとうございましたと祈りました。そしてつぎの日に会社に行くと他の7~8名の三菱の社員は全員不合格となっていたのです。2級土木施工管理技術士の国家資格は、司法試験や公認会計士試験にくらべれば、やさしい試験だと言われえていますが、この2級土木施工管理技術士の資格がなければ、土木会社を株式会社にできず、又、役所の工事でも監督としていけないという、土木工事業をする人々には必要な資格です。こうして私は、23歳で2級土木施工管理技術士に合格し、24歳でK電力所のC級現場代理人という、3000万円以下の工事を請負でいける資格もいただき、時給も1500円位だったのが、倍くらいあがった矢先に事件は起こります。私を推薦てくれえた下請けのM・T社長(私の母の弟)が41歳の若さで肺癌の末期となってしまったのです。そして丸4年で地中線部の部長のT・D部長から下請けに帰って手伝ってあげなさいといわれ、私はまだまだ戦いたかったのですが、下請けに帰ることになり、持物を持ちえて帰っていくときに、先輩社員のMさんから、強制送還という声も聞こえてきました。そして3ヵ月ほど休みをいただき、下請けに出社すると待ち構えていたのは、岡山県出身のY・Mさんという、その昔、現場監督とケンカになり、その現場監督の尻をノコギリで斬り、懲役7年務めた方でした。私はそのY・Mさんの手元として再出発することになったのでした。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない涙目で微笑む神様の恵みによって支えられえている中をなくしたものを取り戻す強く信じる力でいきてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わりゆく明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、書物のアンダーラインへと移動します。・・・・・→→→