・・・・・《後期の190名の女性の方々》・・・・・「7、・・・・・【第7グループ】・・・・・→①、N塾のN先生です。・・・・・→②、皇太子妃Kさまです。今まで述べた事は、意味があり価値があり、キペラを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、①、N塾のN先生と②、の皇太子妃Kさまは、前期の387名の女性の方々でも登場します。①、N塾のN先生は、私が小学6年生の終わりから中学卒業まで通った塾です。マンションの部屋の一室が教室になっていて、そこで6名ほどが学年に分かれえて学んでいました。N先生は、小柄なショートカットのとてもきれいな先生ですが、怒るとキツイ一面もありましたが、私みたいな馬鹿をよく3年間も面倒みてくれえたと思います。一回N先生とケンカになったときに私の教科書を玄関に投げ捨てやめなさいと言われたことがありましが、それらいがいは優しい先生でした。私が中学の時でN先生は、まだ30代中半ぐらいだったと思います。塾を卒業するときに、ミナミかどこかのバイキングレストランに塾の生徒がつれえていっていただきました。でも、私が高校にあがるときにN先生夫婦と子供は泉北のほうに引っ越ししていきました。私はこのほかに、一時京都大学医学部の学生のM先生からも、私たち3人兄弟は家庭教師をしていただいていたのですが、私と兄はついていけず、弟だけが3年間家庭教師をしていただいていました。M先生いわく、兄弟でなんでこんなに差があるんですかと私の母に言っていたのを覚えています。私の場合は、まずM先生の話している言葉と勉強がわかりませんでした、そうするとしばらく沈黙がつづきます、する何をするのかM先生は、私の飼育していた熱帯魚の水槽をノックするように叩き出し、私は怒って、熱帯魚が驚くからやめてください、と、いいました。するとM先生はごめんごめんといっていましたが、M先生(男性)について、あと印象に残っていることは、なにしろ細い体なのによく食べる先生だなと思いましたが、今になると脳は食べたカロリーの50%セントを消費しますので、京都大学医学部レベルになると、英語のマラソンというのがあって、どういう内容かは聞いていませんでしたが、それだけハード勉強をしているので、それもそのはずだったなと思いました。②、皇太子妃Kさまについては、テレビで観ましたが、学習院大学の博士課程を修了し、亡き父も学習院大学の教授をしているとありました。Kさまに関して面白かったエピソードといたしましては、これもテレビで観たのですが、皇太子様とKさまがアフリカ訪問をされえた際にヴィクトリア湖を視察するのですが、アフリカ政府が用意していた船が小さなボートみたいなもので、そのボートにたったKさまはもういやだというような表情をしていたのと、もう一つは、アフリカの動物園みたいなところにいったときに、大きな大蛇を見て口に手をあて怖がって驚きと怖そうにしていました。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない神様の恵みによって支えられえている中をなくしたものを取り戻す強く信じる力で生きてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わりゆく明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、【第8グループ】へと移動します。・・・・・→→→