・・・・・《後期の190名の女性の方々》・・・・・「5、・・・・・【第5グループ】・・・・・→①、私が36歳くらいの時に私どもの会社で働いていた。K・Mさんです。・・・・・→②、同じく私が30歳くらいから36歳くらいまで私どもの会社で働いていたY・Yさんです。今まで述べた事は、意味があり価値があり、キペラを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、②、のY・Yさんは、前期の387名の女性の方々でも登場します。①、のK・Mさんは優秀な女性で在日の人でしたが、旧関西アーバン銀行の銀行員として働いていて、私が2回目の精神病院から退院したときに、お見合いした相手です。確か鍋か何かを食べにいったと思いますが、もともとK・Mさんは三菱の社員でも活躍されえていて、その後、私どもの会社に来て働いていました。なにしろ水をよくのんでいて下半身が太かったけどそこそこの美人でした。でも、私どもの会社で働いていたころからアムエという様々な健康食品や雑貨を売る仕事もしていて、私も一回5万円分ぐらいビタミン剤などを買って母から怒られました。私は一応つき合ってほしい旨を母を通して伝えましたが、すでに彼氏がいたようで散髪屋の仕事をしている彼氏と結婚し最後は妊娠して退職していきました。いい感じの女性でした。②、のY・Yさんは、地元の西成区の玉出中学の出身でわたしの二つ上の方でした。私の父が専務をしていた会社時節から縁があり、私の父の会社がバブル崩壊後になんとかねばりましたが、ついに倒産してしまい、経理ができるということで私どもの会社にきて働いていましたが、鹿児島出身の美人で、私どもの会社は男ばかりなので、皆から告白されえて、困っていたと思います。でも、一時ベンツに乗った寿司屋の息子とつき合いだしたり、していましたがプライベートは、謎の女性でした。そんな私が2回目の精神病院に入院する前に妊娠をしてそのときY・Yさんは、39歳くらいでしたので、高齢出産となるので、私は帝王切開できる大きな病院で出産しったほうがいいよといいました。そして、案の定自然出産はできずに帝王切開で無事に出産しました。その出産する直前に私は2回目の精神病院に任意入院となりましたので、状況は母から聞いたのですが、相手は、ホンダの営業マンで、Y・Yさんが街でハンカチを落としたのを拾ってくれえたのがそのホンダの営業マンの男性でY・Yさんは一目惚れし結婚したそうです。昔に幸せの黄色いハンカチというのがテレビでやっていて好きな人がいればその人に黄色いハンカチを渡したりする内容だったと思いますが、テレビでは好きな人が家に来る日に物干しざおに黄色いハンカチを干していたのを覚えています。Y・Yさんは妊娠と同時に退社いたしましたが、そのしばらくしてやってきたのがK・Mさんはだったのでした。ですから、たまにY・Yさんが私どもの会社に遊びにくるときがありますが、娘も一緒に連れえてくるので、その女の子の歳を聞くと最後に私が精神病院に入院していた頃がわかります。Y・Yさんが私の母から言われえた事は、仕事より子供を産んでおかなければ、それこそ一生後悔するでとアドバイスを受けていました。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない神様の恵みによって支えられえている中をなくしたものを取り戻す強く信じる力で生きてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わりゆく明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、【第6グループ】へと移動します。・・・・・→→→