・・・・・【努力は必ず結果を生む】とあります。・・・・・→→→「★今から5つの話をしていきたいと思います。1つ目は、題目のこの言葉をどこで知ったかについて、この『努力は必ず結果を生む』という言葉は確か十代の後半から二十代前半に、当時K-1というキックボクシングがテレビでよくやっていて、そのときのK-1世界グランプリで3回ほど優勝したオランダ出身の黒人のアーネストホースト選手が優勝したときに、ヒーローインタビューで、この『努力は必ず結果を生む』という言葉を述べていたのを耳にしました。私はもともとアーネストホースト選手がただ単に強いだけではなく、試合に勝つたびに踊りをおどるのですがそれが好きでした。そしてまだまだ半人前の私でしたがこの言葉を胸を抱きます。2つ目は、サラリーマン時節の話について、何度もお話しさせていただきましたが、私は人の10倍努力をしてやるぞという意気込みで三菱の子会社に契約社員として入れえていただき、ガムシャラに働きました。人は頑張れば頑張るほど他の人や会社の人から傷つけられえるようになっています。そして共産党支持者のK課長につけられえた私は日曜日も休みがなく、それでも朝一番に出社して、現場監督員として頑張っていましたが、熱を出し、鼻血を噴き出し、倒れ、救急車で病院はこばれえるということが2回ありましたが、やめてたまるかという思いで食らいついていきました。そんな時にもこの『努力は必ず結果を生む』という言葉を思い出しながらひたすら邁進していました。そして阪神淡路大震災の復旧工事が2年半で終わり、本社に呼ばれえて、本社勤務となります。そして2級土木の国家試験を三菱の若手社員7~8名で受けにいくことになるのですが、このときには、まず『努力は必ず結果を生む』ということのほかに、もう2つの考えがありました。一つは、この2級土木の国家試験を受けにいく前に東京大学教授の野口先生の『超勉強法』という本をじっくりと読み、その中で、実地試験の勉強は、東大合格英語勉強法を参考にしました。その本の中では、中学1年生から高校3年生までの習った英語の教科書を全て日本語に訳して、20回読めとありました。しかしながら、もしわからなかったり思い出せなかったとしても、1つが出てくればあとは芋づる式にどんどんと記憶の中から出てくるというものです。私は過去10年の実例の問題集の実地箇所、文章ででる問題の箇所を10年分、20回読み、40回読み、80回読み、最終的には数百回読みました。そしてもう一つの最後は、イベンダーホリフィールドのメンタルトレーニングを活用しました。ポロボクシングでクルーザー級、ヘビー級の統一世界チャンピオンになったイベンダーホリフィールドは、マイクタイソンとの対決の前夜に報道陣に対して、どのような試合になるでしょうかと問われ、イベンダーホリフィールドは、私は必ず勝てます。と答えました。報道陣が理由を尋ねると、イベンダーホリフィールドは、『全ての準備をしてきたからです。』と答えました。実は、これはアメリカ海軍の戦略で、例えば裸で戦場にいけば、1秒か2秒で銃で撃ち殺されえてしまいます。そうならない為に普段から厳しい訓練を行い、作戦を充分に練って、そして防弾チョッキを身にまとい、機関銃に弾をを込め、トランシーバーも持ち、非常用の食料をもちえて、はじめて戦場に出ることが許されえるのです。イベンダーホリフィールドは、世界最高のトレーナーのもとで数百回に及ぶスパーリングを行ない、世界最高の栄養士の食事を食べ、ウエイトトレーニングは、アメリカのボディービル世界チャンピオンのドリアンエイツから指導を受け、自らも毎日10kmのランニングを行ない、そしてアメリカのトップミュージシャンのMCハマーの生演奏で試合のリングに向かい、リングの鐘が会場に鳴り響きます。試合ではイベンダーホリフィールドが優勢に試合をはこびましたが、最後は、マイクタイソンがイベンダーホリフィールドの耳を噛み切り、反則負けとなり、イベンダーホリフィールドに軍配があがったのです。私は2級土木の国家試験で、この『全ての準備をする。』という戦略を用いて、土木施工の教科書を全部読み、講習も全て受け、学科試験では、数万問という問題を解きました。そうすると試験では、よく似たような問題が数多く出てきて、そしてしばらくして私が住んでいたマンションに合格の通知が届き、私は思わず神様ありがとうございましたと祈りました。そして三菱の7~8名の若手社員は全員不合格にるという、まさに『努力は必ず結果を生む』という体験をしたのです。3つ目は、24歳からさまざまに学んだ言葉その①、これはテレビを観ていてやっていたのですが貴乃花親方がテレビに出ていてこう述べていました。『勝って兜の緒をしめよ』という言葉ですが、これは、勝ったからといって油断せず、もう一度気を引き締めなさいよということです。それから十数年が経ち貴乃花親方が弟子のいざこざで相撲業界を去ってゆき、しばらくしてから貴景勝関という弟子が幕内優勝したときにテレビで述べていた言葉の素晴らしさに私は深く感銘をを受けました。その言葉は、『舞い上がることなくすぐにシコを踏みなさい。』という言葉でしたが、これは『勝って兜の緒をしめよ』を進化させた言葉といえます。4つ目は、24歳からさまざまな学んだ言葉その②、このことは、私の裏の師匠であるS氏から教えていただいたのですが、まずS氏とは夜中によく行っていた大阪の桜川の立葉温泉で出逢い、それから私は、風呂や食事や私のマンションにきてさまざまなことを教えてくれえたのですが、S氏は、京都大学理工学部を卒業後に友達と2人で機械を開発し、海外へ輸出して400億円稼いだ方で、S氏は青森県に200億でゴルフ場を作り、もう一人の友達は競馬の馬主となりました。そんなS氏と話をしているときに、私は新撰組の話をしましたところ、S氏はあのようなつまらない話はするなと言ってきて、今度は私が忠臣蔵の話をしだすと、おうあれは中々いい話だねと言って、S氏はそれでは一ついい言葉を教えてあげようといって、『己れ殺して己れ生かさす。』という幕末の長州藩の吉田松陰(よしだ しょういん)の言葉を伝授してくれましたが、私はもう一つこの言葉の意味があまりわからないまま、そのまま病気になりS氏とも連絡がつかなくなりましたが、この言葉をわかりやすく説明いたしますと、これは本当にあった話ですが40歳をすぎたご婦人が妊娠し、医師から出産は危険であると言われえていたものの、それを承知で出産に踏み切り、赤子は助かったものの、そのご婦人はお亡くなりになりました。このことこそまさしく『己れ殺して己れ生かさす。』という言葉の真髄であるのです。5つ目は、24歳からさまざまに学んだ言葉その③、この言葉は極真空手総裁の大山倍達氏の著作本の『自分に勝て我が性格改造論』という本に記されえていたのですが、江戸時節の徳川二代、三代将軍に剣術を教えた柳生宗矩(やぎゅうむねのり)先生の言葉で『人に勝つ道探さずに己れに勝つ道探すべし』というもでしたが、極真空手の池袋の本部でつぎつぎに辞めていく門下生に内情を聞いてみると、彼女ができましたから、結婚しますからという意見が圧倒的に多かったといいます。そのようなことを大山倍達総裁は分析し、己れに勝つということは、ある意味『性』との闘いであると結論づけた上で、最後に自分に勝てそうすることができればもうどこの社会に出ていっても何も怖いものはないと記されえていました。今まで述べた事は、意味があり価値があり、ノートの問いを通して語りかけるささやかな声が静かにふけゆく夜に響けり耳を澄ませば心の奥に聞こえる、しかしながら、二十数年前になるでしょうか、駅周辺でつぎつぎに人を刃物で刺し殺して捕まった青年がいましたが、警察の事情聴取によるところ、『努力しても報われなかったので人を殺した。』と供述しました。その青年は苦学の末に一級建築士の資格をとったものの、会社勤めが合わず、独立してマンションで事業を始めましたがそれもうまくいかず、ついにはやけを起こして犯行に及んだのでした。このように世の中には、努力しても報われない人もいる、しかし、努力しないことには、何も前には進みません。この例は、運が悪かったといえば、それまでですが、さまざまな出来事の中で魔がさしてしまったのだろうと思いました。でも、一級建築士の資格収得だけが勉強ではありません。よく街中でも勉強って一体何という人の声も聞いたことがありますが、しっぱいしたことや挫折したこと、事件を起こして刑務所に入って服役すること、1日の出来事、1年の出来事の嬉しいことも苦しいことも喜びも悲しみも何かに腹が立ったことも誰かに腹が立ったことも何かを好きになったことも誰かを愛したことも、その全てが勉強なのです。この世の人々の願いを叶える思いをはるかに超えるように闇に輝く光のように、わたしたちの命は日々とりとめのない神様の恵みによって支えられている中を生きてゆく、いつわりのないとこしえに人から街へさらには夢から未知なる世界へそして果てしない宇宙へとつながる変わりゆく明るい未来への星の魔法のバードフライパラダイスのメッセージとなるのであります。」・・・・・次は、書物のアンダーラインへと移動します。・・・・・→→→