毎年、1月17日を迎えるにあたり、繰り返し思い出すこと。


当時は東京で働き、生活をしていましたが、震災のあった日の前日までは三連休。大雪の兵庫県北部にあるハチ北へスキーに行き、夜は阪神高速を通って兵庫県内のホテルで宿泊。翌日17日は大阪の京橋へ仕事に行く予定でした。


夢の中の早朝。

遠くから近づいてくる地鳴り。

同時にテレビが飛び、いろんなものが壊れる音が響き渡りました。当時はガラゲーで画面の明かりを頼りに、服を着替えて荷物をまとめて外に出ると、さらに強い余震。

周りの風景は大きく変わっていました。


地震直後、しばらくは携帯電話は繋がっていたので、東京にある会社や実家へ電話。

「ふーん」と余り、大きな事には捉えられていませんでした。


その後、数時間後は携帯の基地局のバッテリーがなくなったからか携帯は繋がらなくなり、音信不通となります。


その日のうちに、阪急電車は、大阪の梅田駅から京都方面へは運転が再開され、なんとか、その日の夜には実家のある京都に戻ることができました。


数日間、新幹線は運転ができず、会社とは連絡が取れず、自宅へ帰ることもできませんでした。


それから、16年後の2011年3月

東日本大震災がありました。

日中の昼間に都内でも大きく揺れ、お昼間のワイドショーでは、中継をやっています。

1000年に一度と言われる規模の大震災が起きました。いろんな課題に直面する災害でもありました。


そして、今年の元旦。

能登半島地震。


私は、初詣で京都府八幡市にある石清水八幡宮の山の上で、緊急地震速報を何度も受信。

山の上では揺れを感じることはありませんでしたが、余震の多さに怖さを感じました。

今もなお、災害は続いています。


歴史を見ると、京都でも、1596年9月5日「慶長伏見地震」という大地震の記録があります。伏見城の天守を始め、東寺の五重塔、天龍寺などが倒壊したそうで、 推定マグニチュードは7.5前後で畿内の広範囲で震度6相当の揺れであったと推計されています。


今から1000年少し前。

東日本大震災に相当する地震が前回起きたのは、西暦869年。東北沖を震源とするM9クラスの貞観地震で、現在と同様に大地変動の時代に入り、全国で地震が頻発。そして9年後の878年、関東南部でM7・4の直下型地震が起き、さらに9年後の887年、南海トラフ西側と東側の震源域で同時に、仁和地震というM9クラスの巨大地震が発生した記録が残っています。


いくつかの大きな地震を経験し、防災に関する出版物の制作に関わる機会があり、感じたこと。


各自で1週間の備えを常に持つこと。

お風呂のお湯は、次に入るときまで貯めておく。

飲料水は箱で3ケース、乾電池、懐中電灯、ラジオ、バッテリー(充電器)、簡易トイレ、カセットコンロを備えています。


もし、スマホが使えなくなったら、もし、電気が使えなくテレビや冷蔵庫が使えなくなったら。。。

擬似的に経験してみると、必要なことが見えてきます。


誰かがいつか助けてくれる。

そんな時代ではなく、自分のことは自分で完結する。

防災もそんな時代に移りつつあります。


今の時代、いろんなことが机上で、合理化されていく中で、経費や予算、人員カットで「もしも」の時には、人手が足りず、機能しないことも多くなることが予想されます。


大勢の人が住む都会では、さらに拍車がかかるでしょう。身近に周りに置き換えてみると、昔はあった小学校や中学校、公園など、近隣の人の多くが避難できる場所はありません。


「もしも」は起こって欲しくないですが、生きている今の時代は、1000年に一度あるかどうかの活動期に入っているとすれば、再び、10年以内に大きな災害に何処かで経験することがあるかもしれません。


住んでいる「京都」

京都は安心。地元の親の世代の多くの人は言いますが、そんな保証はどこにもありません。


歴史から学び。日々の備えを。。


昔を振り返るイベントとして、4年ぶりに、神戸で「ルミナリエ」が開催されます。

規模は以前とは異なるようですが、過去を振り返るきっかけになればと思っています。



2019年ルミナリエ