韓国では「嘘も表現の自由」なのか?! | ソウルの風に吹かれて、時には優しく、時には雷雨のごとく!

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韓国での暮らしを通して観た韓国社会の素顔や日韓関係、南北問題、韓流など興味を引く情報を紹介してゆきます。

子供は外で見たことや人について、針小棒大にしたりもっともらしく話を構成したりして語った。 家族はおもしろく聞き、これで子供の「創作本能」が弱まるとは思わなかった。
そんなある日、やはり「創作物」をまくし立てていたが、そばで誰かが「この子は今、嘘をついている」と証言した。 子供はドキッとした。 ところが母親は言った。 「もともと頭の良い子が嘘も創意的に話しているのだ」。

昨年、セウォル号事故当時に出たホン・ガへという女性は自身が民間潜水士だとして海洋警察がまともに救助活動をしていないと、あるテレビメディアのインタビューに嘘を言った。 これに対し海洋警察の名誉を傷つけたとの容疑で拘束され裁判を受けた。 そして9日の第1審で無罪判決が下された。 「表現の自由」を認めたからだ。 ただし裁判所は「この判決が、ホン氏の行動を正当化したり免罪符を与えたりするものではない」と明らかにした。
嘘は道徳的な審判を受ける問題であって、法で断罪することにはならないという話だ。
(中央日報  1/14)




韓国でテレビニュースやドラマなどを見ていると「嘘をつく」場面によく出会うんですよね。

ドラマではたいてい主人公に敵対する相手役は「嘘と謀略」を行使して主人公を落とし入れようとしますし、国会でも質疑応答で追い詰められた長官はその場逃れの嘘を言って後でばれたりしています。

またビジネスでもミスをしでかした際にそれを繕う弁明のために嘘がよく出てきたりします。


そして韓国では嘘をついたからと言ってその事自体を問題にするという社会的風土は無いように見受けられます。


半島国家として大陸国家と海洋国家の狭間で歴史的に苦しめられ、「目先が利く判断」と「とっさのその場逃れの弁解」が生き残りのための能力だったからなのかも知れません。

日本にも「嘘も方便」という言葉がありますが、韓国ではさらに進んで「嘘も表現の自由」と 中央日報で強弁しているのもなんとなく納得ですよね。


しかし、社会がそれだけ「嘘に寛容」なので、政府の発表や検察の調査結果なども当然嘘が織り込まれていると国民は初めから「確信」しており、誰もそのまま信じないという「不信社会」を形成してしまいました。

食品製造会社が使用を禁止されている薬品などを使用して摘発をうけても、最初は責任者が絶対にそんな事はないと強弁しますが、証拠を突きつけられて逃れきれず、しぶしぶ認めて謝る姿をテレビの報道で何度も見ていると日本人の私でも社会不信に陥りますからね。

民度が上がれば徐々に是正されてゆくのでしょうが、それまで弊害も大きいのは間違いないようです。