安部首相は祖父の岸信介元首相を超えられるのか?! | ソウルの風に吹かれて、時には優しく、時には雷雨のごとく!

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韓国での暮らしを通して観た韓国社会の素顔や日韓関係、南北問題、韓流など興味を引く情報を紹介してゆきます。

志を持ち、私利私欲がない。愛国心があり、人望もある-。 政治家に求められる資質は多々あるが、私が重要視しているのは、長い歴史の一地点としての今と、そこに生きる自分自身の使命を理解し、覚悟が感じられるかということである。

 しかし、政治家は、時には国民の命にかかわる決断を強いられることがある。 一つひとつの判断は重い。 それゆえに、何をよりどころとするのかが非常に重要なのだ。

 私は、そのよりどころに「歴史」という観点が非常に大切であると思う。 今は、過去から未来への通過点。 過去に何があり、将来へ向けて何が求められているのか、その視点に立つことだ。

 60年の日米安保条約改定では、国会は大荒れし、学生は暴徒化し、官邸周辺では連日デモが起きていた。 当時の岸信介首相は安保改定で、日米の役割分担を明確にすることに信念を貫いた。

 岸氏は、日本の将来のためには、片務的な安保条約ではダメだと考えた。 米国が日本防衛の義務を負う一方、日本は基地を提供し、日米がともに極東の平和と安定に協力する双務的条約にしようとした。 日本がきちんと主張できるようにしておくことが重要だという信念があったのである。

 首相官邸をデモ隊に取り囲まれ、警察が「守りきれない」と、他の場所への避難を求めても、岸氏は「首相が官邸を離れるわけにはいかぬ」と拒否した。 実弟の佐藤栄作氏(後の首相)と「死のブランデーグラス」を傾けたといわれる。

 「日本を戦争に巻き込むのか」という当時の批判を、時を経て、岸氏の孫である安倍晋三首相がそのまま受けていることには驚くばかりである。 批判勢力はまったく進歩していないのだろうか。

 (Zukzuk 7/27)





個人の人生の中でも一生を左右する分岐点があるように、日本の歴史の中でもその後の国家の行方を決める大きな分岐点がありましたよね。

明治維新、第2次大戦の敗北もそうでしたし、60年の日米安保条約改定もその後の日本の行方を決める大分岐点だったと思います。

当時は小生も幼かったので何もわかりませんでしたが、国会を押し囲む連日のデモ隊の姿に刺激され、遊びながら“アンポ、ハンタイ!アンポ、ハンタイ!”と叫んでおりましたね。




世論調査なるものが当時あったかどうか知りませんが、もしあれば岸内閣への支持率は今の安部内閣よりはるかに低いものになっていたのではないでしょうか。

しかし、当時の岸信介首相の私利私欲がない信念と、それを命がけで貫く覚悟があったために、その後の日米安保を基軸とした日本の平和と繁栄があったのだと思います。

日本は民主主義国家でありますから、「国民の民意」を正しいものとして多数決の原則で運営されることになります。

それ故に“世論調査”なるものも頻繁に行われることになります。

でも「国民の民意なるものが本当に正しい」と言えるのか、小生は甚だ疑問を感じています。

日本での60年安保闘争もそうでしたし、この韓国においても反日思想に染まった「国民情緒」なるものに政治家やマスコミは縛られ、国民は自分の思い通りにならないとストライキやデモに走って騒ぎ、現実に何も決まらない、進まない状況が続いているのを見てもそうです。





安部首相が7月1日に集団的自衛権行使の閣議決定をしてから安部内閣への支持率が10%ぐらい落ちたと報道されていますが、本当に私利私欲なく日本の平和と繁栄のために集団的自衛権行使が必要と判断するなら、祖父の岸信介元首相に負けない覚悟をもって堂々と進めていってほしいと思います。