韓国の『安全不感症』、治らない理由は?! | ソウルの風に吹かれて、時には優しく、時には雷雨のごとく!

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韓国での暮らしを通して観た韓国社会の素顔や日韓関係、南北問題、韓流など興味を引く情報を紹介してゆきます。

社会風習は一夕にして変わるものじゃ無いという事ですよね。

12日午後7時、釜山沿岸の旅客船ターミナル。済州港へ向けて旅客船「ソギョンパラダイス号」(6626トン、定員613人)が出発した。

救命胴衣がある場所と着用方法の説明、非常時の行動指針案内などはなかった。
どこからか「船に乗れば救命胴衣の使用方法を必ず知っておくようにと子どもに話したが…」という声がした。
チョン・グァンフンさん(82)は乗務員を訪ね、「救命胴衣はどこにあるのか」と尋ねた。 乗務員は「ベッドの下にあるはず」と答えた。 しかしそこに救命胴衣はなかった。
しばらく探すと、客室の廊下に救命胴衣保管箱が見つかった。 そこは空だった。 別のところも同じだった。 チョンさんは3つ目の保管箱を開けて、ようやく救命胴衣を見つけた。
旅客船「セウォル号」沈没事故が発生してから1カ月。 沿岸旅客船運営会社の安全不感症は相変わらずだった。 安全教育は徹底されず、非常脱出口はふさがれていた。

ソギョンパラダイス号の乗務員は救命胴衣の着用法を把握していなかった。
「説明してほしい」という乗客の要請に救命胴衣を試着した乗務員は、どのひもをどこに掛けるのか分からず困惑した。

(中央日報  5/16)



もう、別に驚きはしませんね。

あれだけ国中をあげて「安全、安全」と騒ぎ立てながら現場は何一つ変わっていなかったという事でしょう。

あの300人を超える少年少女たちの犠牲は韓国にとって何だったのでしょうかね。



結局、時の流れと共に人々の記憶からも忘れ去られた頃、再び第二の“セウォル号沈没事件”が起きて、人々はまた「安全後進国」だと泣き叫ぶのでしょうか。



しかし、だからと言って韓国を笑うわけにもゆきません。

元々、『安全』を考えていたらソウルなんかにはとても暮らせないからです。

韓国は“休戦中”の国家です。

厳密に言えば、韓国は1953年の北朝鮮との休戦協定に李承晩大統領が反対して署名しておらず、休戦でもなく“一時的な停戦状態”なのです。



南北の軍事境界線からソウルは40kmしか離れておらず、境界線上に配置された北の数百門の大砲やロケット砲が一斉に火を噴けば、ソウルは確実に“火の海”になってしまいます。

そういう所に1000万人以上がひしめき合って暮らしているわけです。

もはや自分でどうする事もできない状況の中で、北がそんな事はしないだろうと「信じて」生活しているのであり、“安全”をまともに考え出したら韓国から出て行くしかありません。

だから日本のように安全と「まともに向かい合って」システム化する事は“無意識的”に避けてきた国民性があるようにも思われます。


この“セウォル号沈没事件”も6月初めの選挙に向けて政治的に利用されるだけで終わってしまうかもしれませんね。