オリエンタル写真工業幻の二眼レフカメラ③ | 四畳半カメラ大系

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7.謎の高級レフレックス型カメラ

 

 気になる記述がある。以下社史から抜粋「続いて第二回製品として、高級レフレックス型カメラの制作を準備した。これは前年秋以来、独自の設計を以て着手したものでレンズ、シャッター共に、ハイクラスのものを設備することになった。然るに、昭和14年12月6日、本社より分離して東洋光機株式会社が設立されたのである。」

 

 前年秋は恐らく昭和13年(1938年)?を示しており「高級レフレックス型カメラ」の製造計画が存在したのだろう。

 

 この「高級レフレックス型カメラ」を「二眼レフカメラ(レフ機)」と仮定すると、前年の昭和12年(1937年)頃に藤本のPRINCEFLEX(プリンスフレックス)と千代田光学のMINOLTAFLEX(ミノルタフレックス)Ⅰ型の二眼レフカメラが日本で初登場していることから、両者の影響を受けて計画されたと考えるのが自然ではないだろうか。

 

 続いて以下抜粋「かくして東洋光機は、落合の本社付近に創設せられ、昭和15年にその製品を市場に販売した。その製品は、ピーコックカメラ、オリエントシャッター、(中略)その他光機の内部のカメラ製作計画は次第に積極化していった。そして製品の販売はオリエンタル本社販売課にて取り扱う事となった。」

 

 高級レフレックス型カメラ、ピーコックカメラとは何を指しているのか?レフレックス型カメラはレフ機、二眼レフもレフ機と要素は同一なのでオリフレックスとの関係を示唆できる。

 

8.ピーコックフレックス?

 

 昭和24年に出版された桜井実氏の「国産カメラの選び方」国産二眼レフ編の登場で面白い記述を発見した。

 

 以下抜粋「ピーコックフレックス いつごろ売出されたか全然気がつかなったが、かなり古いらしい。このカメラは二眼レフの悪い面ばかりを集めて設計したようなカメラであった。」

 

 ピーコックを冠したカメラは他に無いこと、レフ機であることから高級レフレックス型カメラとピーコックフレックスは同一、かなり古いらしいということから戦前の登場、昭和15年頃の販売を示していると見られる。

 

 この3点の要素から高級レフレックス型カメラは二眼レフ(ピーコックフレックス)と断定可能だ。

 

 実はオリフレックスを見つける数か月前、某所でその実機らしきものを見た。銘板はPEACOCKFLEX、

 

 レンズ銘 F.K Anastigmat Terionar(テリオナー) 80mmF3.5

シャッター銘不明(T.B.1/25~1/100)

 

 ビューレンズの上にPEACOCKFLEX STANDARD(ピーコックフレックススタンダード)と刻印されており、ROLLEIFLEX STANDARD(ローライフレックススタンダード)の顔とIKOFLEX(イコフレックス)のボディを混ぜたような奇怪な姿をしていた。

 

画像元:ヤフオク(購入した方は是非自分にご連絡を…)

 

 F.Kは富士光学の略称だと思われ、テリオナーは戦前の昭和13年(193年)のLYLAFLEX(ライラフレックス)に搭載されていたレンズ銘である。オリフレックスの他にピーコックフレックスは確かに実在した

 

9.空白の10年?

 

 先の存在からオリエンタル写真工業(実際は東洋光機製造)は昭和15年の時点で二眼レフの製造能力を保有していた事が伺える。つまりオリフレックスの原型はピーコックフレックスなのだろうか?

 

 但し、前者がローライフレックススタンダードの模倣(注意:私が見た限りでは)なのに対して後者はブリラントであること、昭和15年から昭和25年と10年も製造時期が離れていることから両者の関係に疑いの余地がある

 

 またピーコックフレックスの現存が殆ど確認されていないのは本社販売課で発売されたこと、酷評であることから不振に終わったのだろう。国内では数台程度しか現存してないと見られる。

 

 そして昭和16年(1941年)以降、大日本帝国は米英との戦争に突入、国運が懸かった状況となり会社自体が厳しい道を辿った。

 

 戦中期も光機部門は成長を続けた様子だが、昭和18年から戦争末期頃は別の製品(写真兵器、暗箱、現像関係など)の製造に主力を注いでいるため二眼レフの製造は早い段階で打ち切ったと思われる(この頃はどこもカメラの製造は厳しいが)。

 

④に続く