レンチャンです😛
カフェを出てすぐの大手門。
撮影していたら大手門に2階があることに気づき...
おーかっこいい😎
日本唯一の穴城ということで
興味が湧き、ちょっとお邪魔してみました。
大手門を横からクローズアップ
城下町よりも低い場所に築かれている珍しい城で、となると、敵に攻められやすくない?と思いますよね?
説明員さんのお話を要約すると
浅間山の火山灰が積層された土地が
千曲川の侵食により
至る所に深い谷ができ
それが天然の堀になっていたとのこと。
さらにそれらは
U路溝ではなく垂直に切り立った感じで
かつ堀は至る所に複雑に入り組んでいたため
敵には攻めにくい地形だったと。
敵に見下ろされたとしても
こちら側には櫓など監視場所はたくさんあり
攻めるには複雑な地形や頑丈な石垣で
非常に利点があったと。
勉強になります!笑
大手門横にある石垣。
大手門の2階(中2階があるらしい)一番上のところに登ってみました。
説明員のおじさんがいたので
入らないと...ということでお邪魔して
先ほどの説明をいただきました。
下見たら、笑笑笑笑
おかしすぎる笑笑笑
V字の木の枝の間に
おーさんあり。
再び石垣。ここから懐古園までが小諸城とのこと。
となると、次は
誰が築城したのかな?と気になりますよね?
笑笑
ここでざっくりな歴史は
AIさまに。
築城の歴史の流れ(ざっくり)
12世紀ごろ:小室光兼が最初の城(砦のようなもの)を築く。
戦国時代(16世紀):武田信玄が小諸を支配下に置き、重臣たちが本格的な城郭に改修。
1582年以降:織田信長の死後、徳川家康の家臣・仙石秀久(せんごく ひでひさ)が城主となり、石垣や天守風の建物を整備し、現在の形に近づく。
さすがー
ざっくりですが、わかりやすい。
じゃーん。
こちら、仙石秀久さまです。
すっごい派手な衣装ですが、
分け合って目立つ必要があり
このようなファッションをしたようです。
このお方の説明と、なぜこの姿だったのかなどは
説明員さまに詳しく聞きました。
あと、廃藩置県で城がなくなった後の話も。
さすがー、説明員さま。
わかりやすかったです。
一応、AIさまからのコピペもはっておきます。
■ 仙石秀久ってどんな人?
生年:1552年(戦国時代ど真ん中)
出身:美濃国(岐阜あたり)
最初の主君:織田信長
その後は豊臣秀吉に仕えて出世していく。
一時期、失敗してボロボロになるけど、復活するという、珍しい波乱万丈な人生。
失敗してボロボロから復活の物語は
説明員さまに詳しく聞きまして
やはり波瀾万丈な人生が人気なようす。
AIでは豊臣秀吉の小田原攻めあたりの活躍(さっきの派手な衣装)が抜けていたけど
説明員さんは関ヶ原の戦いの活躍より、そこを詳しく説明してくれました😊
一度大名から格落ちして浪人になっていたので
どうしても目立って豊臣秀吉に認められる必要があり、いち早く小田原攻めに参加して
その際に、あのような目立つ姿をしたんだとか。
小田原にある一夜城跡は
私の好きな場所でもあり
俄然興味が湧きました。
城跡が基本好きなんだけど...
広い野原がそこにあり
誰もいない場所で一人立っている時に
さーっと風が吹き、
大木の葉がざわざわっとする時、
昔にタイムスリップしたような感じになり
なんだか想像するとワクワクしてしまう
という、少し変人。
わらっ
大手門から見る小諸駅方面。
ちなみにこのお方
その後、関ヶ原では徳川方に付き、最終的に小諸5万石で大名として返り咲きました!
リベンジ成功!
AIさんより。
すでに存在していた城(武田家時代に基礎があった)を、石垣や堀を整備して近世城郭へ大改修。
大手門や三の門、石垣などがこのとき築かれた。
城下町も計画的に整備し、政治・商業の中心地として発展させた。
はははは。
こちらですよー
まさかのー箱根は屏風山の山頂!
過去に北条氏が見張っていた
屏風山からはまったく眺望がありません。
たくさん木が植えられ
全然見えなーい
あーすごい記憶。
ちなみにAIで検索すると
屏風山は秀吉陣営の砦と
最初にざっくりでてきますが
現地の標識には
北条氏の砦と書いてありました!
戦国時代は、時によって支配者が入り乱れりので
やはり現場で情報獲得が一番正しい方法!
または、正しい?歴史書読みとくとか😅
AIに頼った生活は
ざっくり間違った流れで覚えてしまうことも多いのできをつけましょう!
現場主義のゆきより。
ではまたー!