<聖書通読箇所で、あれ?と思った箇所>
イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。
すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。
イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました。」と言って、手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。
すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。
「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」
しかし、主は彼に答えて言われた。
「偽善者たち。あなたがたは、安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行くではありませんか。
この女はアブラハムの娘なのです。
それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。
安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」
こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。
ルカの福音書13章10~17節
この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」
「アブラハムの娘」、はあまり(ほとんど)見ない言葉だ。イスラエル=アブラハムとは、パリサイ人や律法学者らを中心とするユダヤ民族の信仰が糾弾されている文章の流れからは考えがたい。アブラハムはモーセの律法以前の人物であり、信仰により義とされた方であるから、信仰の人アブラハムの娘→信仰の娘→イエスメシアと信じる人(ユダヤ人クリスチャン)との意味ではないか。
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