<今日のデボーション聖書箇所から>
3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
(2コリント10:3-4)
第二コリント10章では、パウロが自分の使徒としての権威について語り、外見ではなく主にある真の力に基づいて行動していると説明しています。また、批判者たちに対して、彼は霊的な武器を使って思いを打ち破り、神に従わせるために働いていると述べています。最終的に、彼は自分を推薦するのではなく、主に認められることこそが大切だと強調しています。
1-2節:パウロはコリント教会の人々に対して、彼が直接会っている時は柔和で控えめだが、離れている時は厳しくなる、と自覚していることを伝えています。つまり、彼は厳しい手紙や指導を行う背景には、彼らを正しく導き、信仰を守る愛があるという関係性が示されています。
3-11節:パウロは、彼らが表面的なことだけに囚われていることを指摘しています。彼は、自分たちはこの世のやり方で戦っているのではなく、神から与えられた霊的な力で戦っていると強調します。その力によって誤った考えを打ち砕き、キリストに従う心を形成するのだと述べています。
12-16節:パウロは自分を誇って自分を推薦している人たちに注意を向けています。彼は、他人と比較して自分を勧めるのではなく、神が与えた範囲、つまり自分が任された領域の中で働くことを強調します。彼は、自分の働きがコリントの人々にまで届いていることを神の働きとし、他人の領域を越えて誇ることはしない、と述べています。
17節では、パウロは「誇るなら主にあって誇りなさい」と語っています。つまり、自分自身や自分の業績ではなく、神がしてくださったこと、神の恵みこそ誇るべきだ、という姿勢を示しているんです。私たちの自慢ではなく、主が認めてくださることこそ意味がある、と教えているんですね。
私たちは日々、目に見えるやり方で問題に立ち向かうことが多いですよね。でも、パウロはこう語ります。私たちの戦いはこの世のやり方ではない、と。例えば、誰かと意見が合わずに争いそうになったとき、私たちは言い返したり、力でねじ伏せようとするかもしれません。しかし、パウロは霊的な武器――つまり祈りや愛、忍耐――が要塞を打ち崩す力になると言うんです。
たとえば、職場で意見が対立したとき、相手を言い負かすことにこだわるのではなく、まず心を静めて相手の話に耳を傾ける。それは、見えないけれど確かな霊的な武器を使うことです。穏やかな対話や思いやりは、頑丈な壁のような誤解や敵意をゆっくり崩していくんです。
私たちも、何か壁にぶつかったとき、まずは祈り、相手を理解する愛と忍耐を選びましょう。それこそ、目に見えないけれど最も強い力なのです。
エレミヤ書9章24節 誇る者は、これを誇れ。悟りを得て私を知っていることを。
ガラテヤ書6章14節 しかし私には、主イエス・キリストの十字架以外に誇るものが決してあってはなりません。
主よ、私たちが自分を誇るのではなく、あなたの恵みと働きを心から誇れるように導いてください。あなたを知ることを喜び、キリストの十字架だけを誇る謙遜な心を与えてください。アーメン。

