<罪とは>

 

「罪」が生じた主な要因。

 

神は人に言われた。

「あなたが妻の声に聞き従い、わたしが食べるなと命じておいた木から食べたので、地はあなたのゆえにのろわれてしまった。
あなたは一生、苦しんで地から食物を取らなければならない。
地はあなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べなければならない。
あなたは顔に汗を流してパンを食べ、ついに土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。
あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

 

(創世記3章17~19節)

 


🌱 創世記3:17の言葉

「あなたが妻の声に聞き従い、わたしが食べるなと命じておいた木から食べたので、地はあなたのゆえにのろわれてしまった。」

この節で、神はアダムの罪の原因を明確にこう指摘します:

  • 妻の声に聞き従った

  • 神の戒めに背いて木から食べた

つまり、アダムの行動は、神ではなく妻の言葉を優先し、神のことばに対する信頼・服従(信仰)を失った決断として描かれています。ここに「不信仰」があります。


📜 過去の著書や神学的理解

1. カルヴァン『創世記注解』

カルヴァンはこう指摘しています:

「アダムの罪は、神の主権を退け、自らを妻の支配下に置いたことにある。……創造主の戒めを軽んじ、人間の声を上に置いた不信仰が根本にある。」

ここでは、単なる「食べた行為」そのものではなく、神の御言葉を退ける心(不信仰) が罪の本質であるとします。

2. ルター『創世記講解』

ルターもまた、信仰が神との関係の中心であり、不信仰によってその関係が崩れたことが罪の核心だと強調します:

「彼(アダム)は神の約束よりも、妻と蛇の言葉を信じた。神への信頼が失われ、別のものを信頼する。これが罪の始まりである。」

つまり、「神を神とせず、被造物に従う」という不信仰(ローマ1:21–25と共鳴する思想)が、行為を伴って現れたのです。


📖 神学的に整理すると

  • 罪の本質は神への不信仰(unbelief)

    • ヨハネ16:9では「罪とは、わたし(イエス)を信じないことである」とも言われています。

    • 神が与えた戒めと善さに疑いを抱き(蛇の「本当にそうか?」)、神の愛と善を信頼しない心が始まり。

  • 不信仰の結果が不従順(disobedience)

    • 不信仰が先にあり、行為としての罪が現れるというのが聖書全体のパターンです。

    • ヘブル3:12–19も「不信仰のために従わなかった」と教えます。


🔍 結論

創世記3:17に示されるのは、アダムが「妻の声に聞き従ったこと」そのものが問題なのではなく、神の言葉よりも人の言葉を選んだ不信仰の決断が問題だったということです。
彼は創造主である神の御言葉を退け、被造物(妻、蛇)の声に従う道を選びました。それが「罪」となり、地の呪いがもたらされたのです。


🔗 参考になる聖句

  • ローマ1:21–25:神を神とせず、被造物を拝む罪

  • ヘブル3:12–19:不信仰の結果としての不従順

  • ヨハネ16:9:罪の根本は信じないこと


 

🌱 現代的な適用

創世記3:17に示されたアダムの罪の本質は、神の言葉を退けて被造物の声に従う不信仰でした。
これは現代の私たちにも深く関わります。私たちも日々、次のような選択に直面します。

  • 神の御言葉に立つのか、それとも世の価値観や人の意見に流されるのか。

  • 神の愛と善を信頼するのか、それとも自分の判断や恐れに頼るのか。

私たちの内にある恐れや欲望は、しばしば神の御言葉を疑わせ、被造物(人間の知恵、社会の風潮、自己中心の願望)の声を大きく感じさせます。
しかし、神の御言葉こそが私たちにいのちと真の自由をもたらす道であることを覚えたいのです。

実践のポイント

  • 日々の決断の中で「神が何と言われるか」をまず問う。

  • 神の御言葉を読む習慣を持ち、真理に根ざす。

  • 恐れや人の声ではなく、神の約束に信頼する心を養う。


🙏 祈りの言葉

愛する天の父なる神様。
あなたが語られた御言葉に耳を傾けることを、しばしば怠ってしまう弱い私をお赦しください。
この世の声や自分の思いに流され、あなたの善と愛を疑うことのないように、私の心を強めてください。
いつもあなたの御前に信頼をもって立ち、御言葉に従う者とならせてください。
主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

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