円に並べられた
赤やだいだい色の丸い実が、
今年の収穫のお祝いとでもいうように、つややかに置かれていた。
いつも通る、この駐車場に
一本だけ立つ針葉樹の根元に並んだ赤い木の実の円陣は、ままごとのあとにしては、片付けられ整い、空想の調理場というよりも太古の祝祭の儀式にも見えた。
豊作を祝い、お供えするのは、
天まで届く木のたもと。
子供の遊びは、原始の根源を想像させる。
自然のまんまの喜びだ。
あくる仕事場へ向かうとき、祝祭の場はさらに彩られていた。
割れたブロックの上には柑橘の果物、小さな柿が数個、丸い赤い実が二つ、緑色の長い葉っぱが添えられていた。
いよいよ本格的に、祭りは盛り上がっているのかもしれない。
街路を歩きながら、ふくんだ笑いがこぼれてしまう。
また昼下がり。
少しの期待を抱えながら、
通りすがると木の板が立てかけられていた。
木札には
「おはか」
と、書かれていた。
あ、ここはお墓だったか。
そのとなりに、手紙が添えられていた。
「ここをとおったみなさまへ
ここは 虫のおはかです。
いたずらはしないでください。」
夏休みに捕まえた甲虫も、セミが鳴くのをやめた秋口を過ぎて、
段々と眠りにつく用意をする。
やがて桜が葉っぱを落とす木枯らしの頃、白い綿に浸した砂糖蜜も吸わなくなり、冬の入り口ついに動かなくなった。
遠い昔、小学生の頃に飼っていたカブト虫のメスを思い出した。
そして飾られた、色とりどりの果実のお添え物をながめながら、この書き主と僕を重ねた。
「小さいお子さまがいじっていたら注意してください。
お花をとったり、おそなえものを
とったりしないでください。
さいきんいじっている人がいるので
見かけたら注意してください。」
なんと厳格な、墓守だ。
僕といえば冬まで生きたカブト虫のことを、今の今まで忘れていたくらいだ。それに、こんなにも盛大なお墓にはしなかった。
頭でっかちな漢字のバランスが、ひらがなに寄りかかって、マジックインキの力強い筆跡で綴られハツラツとしているので、ずいぶん若い墓守だろうと思われた。
裏面にやり直した下書きのマジックのシミが逆さになって透けている。
そして、またの日。
人影があの墓所から道路へ掛け出したのを見た。
遠くから強い目線で振り返ったと思うと、走っていった。
僕はとっさに「墓荒らし」だと思った。
しかして、お墓のそばにいくと、ムラサキの花が飾られていた。
小さな墓守が、お供えものをしにきたのだろう。
そういえば
あの手紙の最後に、
「たまにもちぬしがくるので、
本気でやめてください。
もちぬしより!」
と、あれは女の子だった。
このムラサキの花も、果物の飾りつけにも、どこか華やかさがある。
まさか女の子の墓守とは、思わなかった。
原初のやさしさは聖も濁も含めてまっすぐだ。
その純粋さが今を持って僕らの中に生きるとすれば、遠い日の遊び場にあるのかもしない。
もう戻ることは、できないが。
いつもの
フェンス越しの通り道。
駐車場を通ると、今日は雰囲気が、違っているのに気がついた。
あのお墓がどこにもないのである。
手紙も供物も墓標の木札も添えた花々も、針葉樹の根元は、なんにもなくなっていた。
墓荒らしを危惧して、どこか秘密の墓所へ移したのだろうか。
まるで古代の街が、一夜にして持ち主のいない廃墟になってしまったように。
あの荘厳なお墓はどこへいったのだろう。
もう跡形も、ない。
だが
今日も、
駐車場を通るたびに思うのだ。
「むしのおはか」のやさしさを。
本日も訪問ありがとうございます。
来年月末の小さな公演の稽古が始まりました。そのうちここでもご連絡しますね。
コメント大切に読ませてもらっています。
すぐに言葉にならなくて、すみません。
今年もあと少しですね。涼




