さかさに、まわる
秒針が逆さまに、
カチカチと回っていた。
ベッドのサイドテーブルに使っている
古い茶箪笥の上の置き時計が、
枕元で不規則な音をしながら回っている。
ギョッとして、
また見れば、やはりそうだ。
どういうわけか秒針が左周りに一巡りしているのだ。
歯車の喰い違いか、電極や電流の異常でそうなったのか、
とにかくこのままじゃ役にはたたない。
逆さに回るのだから、鏡時計にもならないのだ。
故障したかな。
持ち上げて振ってみたが、変わらない。
裏側のプラスチックのつまみで分針をコリコリ回してみたたが、秒針はやっぱり逆さのまま動いている。
この部屋に引っ越してきたとき、上町の古い洋家具屋で買った。いうなれば、この場所で同じ時間を過ごした同居人だ。
左回りの一分間が過ぎる。
まるでタイムマシーンのメモリが、
時を過去へと還すように。
秒を刻むたびに、こいつは少しずつ若返っているのかもしれないなんて想像して、うらやましく思った。
僕の時間は、そのままに。
少し前にホンノちょっと悲しい出来事があった。
人が生きる上で、よくある行き違いとよくある結末だ。
もしも、その極めつけの時間に戻れたら…なんて、考えてみるが、そんなものは、あり得ないし、たとえ省みても、きっと僕の選択は変わらないのだ。
思いは現在進行形。
未来の記憶をもったまま、過去をふたたび生きることはできない。そのことを繰り返すほどに、人の時間は長くはないのだ。
こいつは僕を慰めてくれているのかもしれない。
そう思うと、反対に回る時計も悪くはない。
時間を知るには、部屋の掛け時計があるし、
目覚ましは携帯電話だ。
僕は逆さ時計をそのままにした。
幾日も経たないうちに、時計は止まってしまった。
単三の電池を入れ替えてみたが、しばらくすると動かなくなってしまった。
その止まる前の針が震えるよう動きは、
どちらに傾くのか迷っているかでもあった。
未来へ進むのか、過去へ還るのか。
そして、とうとう動かなくなってしまった。
寿命なのかもしれない。
とてもシンプルな文字盤が気にっていたのだが、あきらめるしかないのだろう。
この部屋の思い出が
止まってしまったかのような
時計を、僕は眺めた。
渋谷の東急ハンズで、手作りの掛け時計を作るコーナーがあった。クオーツ式の動く機械部分と装飾された針。文字盤を自分の気に入ったモノに挟み込めばいろんなデザインの時計が作れるのだ。
クオーツ式の動力部のパーツも色々なモノがあったが、サイズが僕の止まってしまった時計のモノと同じようなのだ。
もしかしたら時計が、また動くかもしれない。
文字盤の厚みが一番薄いものを選び、針は黒いシンプルなものを選んだ。このままだと長すぎるから、ニッパーで切れば、なんとか小さな時計に収まるかもしれない。
100円ショップで金属用の瞬間接着剤を買い、家についた。
穴の小さなネジを精密なドライバーでゆるめて開ければ、動力部分はぴったりのサイズだった。
ただし古い針の部品がそのままでは使えなかったので、買ってきた新しい針を中心の輪だけを残しニッパーで長い部分を切り落とし、それを土台に、オリジナルの古い針を、瞬間接着剤で張り付けることにする。秒針、分針、時針とあり、厚みが増すのが気になるが、動力部分と文字盤のあいだに厚紙などを挟んで、奥まらせ表面のガラス部分に針の中心が当たらないようにすれば、なんとかなりそうだ。
とりあえず、単三電池を入れてみた。
継ぎ足した古い針の、中芯の出っ張りをサンドペーパー削り、少々不格好にはなったが見かけは、もとの文字盤と針の関係になった。
調子が悪かったとき、歯車をガチガチと不定期に刻んでいた音も静かになった。掛け時計用の動力なので、目覚ましアラームはついていないが、ベッドの横でなに不自由もない。
それよりも
ふたたび動き出したことに
心が、喜ぶ。
僕の時間も
未来へ進む。
ここへ来てくれて
そして
最後まで、ありがとう。涼