まだエキスポランドがあった頃に見た、
岡本太郎の「太陽の塔」は森の中から顔を出す、
白くて飛べない巨大な鳥だった。
万博記念公園のだだっ広い芝生にデーンと立つその姿に、ゆっくりと近づいていくと、お腹の顔は相変わらずのダンゴっ鼻だし、
両手を広げて、見上げた頂上の黄金の顔は、キョトンとしたまま空を見つめている。
赤い二つのイナズマ模様はズン胴なウルトラマンみたいだ。
なにか懐かしい、
初めて対面した気がしない。
背中の入れ墨のような「黒い太陽」を仰ぎ見ながら思うのは、近くで見ると意外にも、あまり大きく感じないことだ。
たとえば東京タワーの足下で
「うわっ高いな~」と
関心するのに、この太郎の塔は圧倒的に巨大とは思えない。
いやいや、かなりデカいはずなのだ。
対比物がまわりにないせいもあるのかもしれない。
それにしても
大きく見えないのは表面のなめらかさとやさしさのせいだろうか。
岡本太郎が
大阪万博テーマの「人類の進歩と調和」に断固、否を突きつけた反象徴的モニュメント。
かつて未来の展示と進歩の詰まった万博の建物がなくなり、
あの時、約束した発展の未来を、
見失っている半世紀たった今でも
苛立ちと怒りを内在しながら、
かつ母親の包容力と子供の無邪気さのままに、立ち続けている
太陽の塔。
僕には一つ疑問に思うことがある。
「赤と白」のことだ。
これがある事とつながらない、一つの謎のような気がしていた。
このイナズマの赤は傷ついて開いた傷であることは、なんとなくわかる。
そうではなく
僕にはこの色が
「日本の国旗」に
みえてしょうがないのだ。
いや、しかし
ただ、絶対つながらない。
岡本太郎と国家やナショナリズムほど、かけ離れたものは、ないのだから。
塔の胎内に入ったらその謎が解けるのかもしれない。
そんな思いもあったのだ。
「この中に入りたい」
500円くらい出せば、太陽の塔の中を見学できるんじゃないかとウロ覚えと甘い打算のまま、ぐるりとまわる。
しかし低い柵の下にある溝は少し深く、塔の入り口は入れそうもなかった。
日本の国旗…
ナショナリズムではない、何か。
だから、なお入りたかった。
もしかしてと、太陽の塔が背中を向けるお祭り広場を、ウロウロした。スタジアムは閑散としてベンチに間にある売店のようなシャッターは、しまったままで、開く様子もない。かつては塔を囲っていた巨大なスペースフレームも沈黙している。
「ここから、入れそうなんだけどな」
たった1日しかない大阪見学は、夕方には、通天閣を展望しにいきたい。
だが、入り口は見つからなかった。
仕方なく大阪に向かう駅から
振り返って見る
「太郎の塔」は、
ふたたび森から顔をだす巨大な鳥になった。
遠く圧倒させ、
近く親しくあたたかい、
太陽の塔。
あとで知ったのは、
万博公園機構の抽選に当たらないと入れないということ。ますます塔の胎内へ入りたい気持ちを募(つの)らせたが、
それから、数年がたってしまった。
「あの塔に入りたい」という思いのまま。
今年、
岡本太郎の生誕100年にあたり、渋谷にある岡本太郎記念館で、太陽の塔の内部の
「生命の樹」を復元した模型を展示していることを知った。
太陽の塔の胎内である
「生命の樹」を俄然、見たくなった。
そして僕は
その展示で
「赤と白」の謎を解くことになるのだ。
本日も訪問ありがとうございました。
たくさんのコメントありがとうございます。
【関連記事】




