多様化って何?個人の価値観まで? | 鐵屋の2代目BOSS☆BLOG

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日鋼スチール2代目社長の徒然ブログ

2代目です。

 

辰年は荒れるとか、激動の年になるとか言われて久しいですね。日銀は物価目標を達成できたということで、ほんの少しですが利上げをしました。しかし、タイミングは最悪です。外国の景気がトーンダウンして、世界の流れ的には利下げを考え始めているところ、日本は逆に利上げしようとして、結局は世界との逆ザヤ状態は変わらず、円安も円高に変わることもなく、物価指数は、並の賃上げでは追いつかないスピードで上昇しています。いつからこんなに金融政策がうまく機能しなくなってきたのでしょう?結局は2%の物価上昇を目標にして、金融緩和を断行し、インフレ状態にした日銀・黒田前総裁の功罪だと私は思います。

 難しい話は置いといて、弊社の業種も非常に厳しい状態が続いております。物価上昇の波は製造業の材料高騰につながり、メーカーは景気不景気に関係なく材料単価の値上げを断行しています。我々中小零細企業にとって、とくに同業他社がひしめく世界にいる業種には厳しい時代に入っていることは確かです。材料高騰の分を、販価に反映できない状態がここ1年程続いており、それによる仕事の減少、人材不足による工事遅延なども重なり、仕事数が激減しています。仕事がないので、稼働率を上げるために安価で受注する業者も多数見受けられます。自分で吐いた唾を自分にかけているような状態が、ここ数年ずっと続いているのです。製造業が魅力ある業種に変えるなら、この流れを全体で変えていかないと、いい人材も集まらないような気がします。ましてや弊社のような零細企業などは、全く募集しても人材が集まることはありません。もちろん給料の問題も大きな影を落としています。大企業は軒並み賃上げ満額以上の回答をしていますが、そのしわ寄せはその下で働く我々零細企業が受けるわけです。大規模なコストカット、無理な工期で短納期、非効率なな仕事を下請けに流すなど、もう大企業はやりたい放題ですね。悔しさしかありません。

 

人間誰しも裏表があるように、企業活動もそういった裏表があります。しかし、表向きばっかりをよくして、裏はもうひどい状態になっている、そういう会社も多くなっています。

 

 最近思うのですが、企業も人間も本音でぶつかり合うことがなくなってきているように思います。多様性を受け入れよう、人畜無害な人間になろう、こうしよう、ああしようみたいな、決して強制的な感じではない言い方ですが、結局はまるっきりきれいな方針とか考え方に誘導されている気がしてならないのです。もちろん、いいこともあります。みんなが同じ方向を向くことで、企業活動や社会もスムーズになるみたいな、そういう面ではいいのかもしれません。しかし、自分の価値観、考え方、意識などは、ロボットではないので、人間ですから、それぞれに持っていてもいいと私は思います。社会的にそれはだめだとか、常識的にそれはおかしいとか、当たり前の事に関して否定したり指摘する事は当然あってしかるべきだと思いますが、極端な話、自分は鮭おむすびが好きだから鮭おむすびを買いたい、でも世の中的にはこんぶのおにぎりが主流で、他のおにぎりへの選択は考えられないから、こんぶのおにぎりを買いましょうみたいな、ほぼ強制的に趣向や価値観を変えられてしまうみたいな、べつにこんぶのおにぎりを食べたい人は食べたらいいし、鮭おにぎり食べたきゃ食べればいいみたいな考え方は主流ではない、という、まあ非常に極端な話ではあるんですが、そういう世の中の流れになっている気がして、それがまた息苦しさを感じてしまうのです。

 

 多様化を受け入れよう、それぞれそういう風に仕組みを考え直そうという、すべてを綺麗にする、単一的にする、みたいな、よく考えると価値観の多様化はいったい何?みたいな、画一的にすることで本当にみんなが同じ方向を向いていけるのか、私は疑問に思います。腹で思っていることと、表面できれいごとを言っている人間と、どっちが本当の人間なのかなと思います。後者が当たり前のようになる時代は、果たして本当の多様性やそれぞれの価値観を受け入れられることができるのか、いや多分それは難しいでしょうね、っていうのが私の考え方です。本音でぶつかっていけることも人生における醍醐味の一つだと思うのです。すべてを否定するような時代になってはならないと私は思います。

 

長文失礼しました。。^^;