食卓をまざまざと見つめて | Takasanのつれづれ国際交流日記

Takasanのつれづれ国際交流日記

Takasanがこれまでに体験してきた、外国人との交流体験や英語などの語学学習の経験、海外の文化や旅行に対する思い、また、外国人目線で捉えた日本文化などの国際交流にまつわるエピソードをつれづれ披露いたします。

世界の飢餓についてちょうど調べているところだったから、食卓を見つめているとどうしても考えてしまうことがあった。

学校の社会でも習った通り、食卓に並んでいる食材の大半が外国なしでは賄われないということだ。

全世界で生産された食料を世界の人口できちんと等分すれば、すべての人々に十分に食料が行き渡るそうだ。

ところが、現実はそうはなっていない。

賞味期限が来て廃棄してしまったり、食べてみて美味しくなかったから捨ててしまったり、思い出せば罪深いことをしている。

外食業界で働いていた時もあったが、設定の時間が来てしまったから廃棄しなければならないとか、売れ残ってしまったけど処分しなくてはいけないとか、随分心苦しい事をしてきた。

衛生的な観点からそうせざるを得ないのは分かるが、やはり食べ物を捨ててしまわなければならないというのは胸が痛い。

お金があまり苦しかった経験もしているから、世界で飢えている人のことを思うとしのびない。ちなみに、世界で飢餓で苦しんでいる人は、テロ行為で犠牲に遭われた人よりもはるかに多いそうだ。これで、テロ行為を軽視するつもりは毛頭ない。むしろそれも静粛に受け止めなくてはならない。飢餓の問題は身近に感じる機会はそう多くはないけれど、無縁の問題でもない。

何とかして、世界の飢えている人を飢餓から解放する手立てはないものだろうか。