わたしはテレビゲームが好きだ。
現在はPCでゲームをしているくらいには好きだ。
小さい頃、ゲームボーイのマリオから始まり、今の今までやり続けている。
プロのようなうまさはないし、RTAみたいなマニアックな領域にも行ってないし、新たな攻略方法を見つるためのやり込みもやってない。
一般的なゲーム好きなプレイヤーだ。
テレビゲームが出てきた頃、ゲームのやりすぎは頭を悪くするという考えが強くあったように思う。
今でも、そのような思想はそれなりにあると思う。
ゲームをするより本を読んだ方がよいという考えを聞いたら、そりゃそうだと思う人が多いと思う。
しかし、わたしの考えは違う。ゲームは経営に似ており、実社会に十分活用できることを学べる場だと思う。
ゲームは、プレイヤーが面白く思うような設計がなされている。ゲームのおもしろさは、発見・育成(成長)・成功を、様々な制約条件の中で繰り返していくことになる。
数値的目標・ランク的目標・物集め的コンプリート・設定されたゴールへの到達等が、設定されており、その目標水準が高いほど、良い報酬がもらえたり、良い演出が見られたりする。
ゲーム内では、小さい成功には、小さい演出、大きい成功には、大きい演出が設定されており、ゲーム内の努力を讃える仕組みが用意されている。
ゲーム理論に基づき、プレイヤーが選択しなければいけない局面が数多用意され、その選択と行動によって結果が出る。
もう少しわかりやすく理解するために、例として、ポケモンで考えてみる。
初代ポケモンのゴールは、ポケモンマスターになることだ。ゲームの中におけるエンディングは、四天王という最強のポケモンプレイヤーたちに勝ち、最後にその四天王を倒したとされるライバルにポケモンバトルで勝つことである。
また、初代ポケモンの種類は、151匹おり、これを全部あつめることはもう一つの大きな目標だ。
この二つを双方クリアすれば、このゲームにおけるゴールのポケモンマスターになったと言える。
このポケモンマスターになる道のりがとんでもなく楽しいのだ。
このゲームもプレイヤーが取らなければいけない選択の場面は多い。
代表的には、以下だ。
・どのポケモンを仲間にして育てるか
→手持ちと控えがあり、手持ちは六匹まで
・どの技を覚えさせるか
→戦う時のたくさんの種類があるが、一体のポケモンで覚えられるのは四つまで
・どれくらい育ててから、四天王と戦うか。
→四天王はそれなりに強く、ポケモンのレベルがそれなりに育ち、それなりに強い技がないと倒せない
これは、ゲーム制作側が用意した制約だ。
簡単にクリアできすぎても良くないし、難しすぎても良くない。それなりの縛り(制約条件)があることで、プレイヤーは選択を強いられ、それによって、自らの意思決定で前に進んでいると認識できる。
ここまでで、理解できるポイントは、
ゲームは、制約条件を踏まえ、プレイヤーは選択し、設定されたゴールに向かう。ということだ。
ここまでで、雰囲気、経営とか仕事に似てるなと思ってもらえたら良いと思う。
じゃあなぜ、「ゲームはあんなにもハマるのに、経営の道に進まない人が多く、仕事もお金を稼ぐためと割り切りされることが多いのか」についてや、
「ゲームは実社会に活用できる学びを提供してくれるものだ」と言うことについては明日解説する。