岩佐美咲「アキラ」聖地巡礼2 3/12教会群~八幡坂~元町公園~金森倉庫~アキラの思い出巡り旅~ | KONCHAN 音楽プロデューサ-のよもやま話

KONCHAN 音楽プロデューサ-のよもやま話

ネットワークや融合によって音楽文化を発信する。
音楽による新しいビジネスの形を提案していきます。
音楽イベントやビジネスを制作、プロデュースします。
皆さんよろしくお願いします。

 

2022年5月25日 岩浅美咲「アキラ」特別盤発売



【特別盤A】
TKCA-75041 / ¥1,227+税 (税込¥1,350)
1. アキラ
2. 夜に駆ける
3. アキラ<オリジナルカラオケ>
4. アキラ<半音下げカラオケ>

 

【特別盤B】

TKCA-75042 / ¥1,227+税 (税込¥1,350)
1. アキラ
2. SAKURAドロップス
3. アキラ<オリジナルカラオケ>
4. アキラ<半音下げカラオケ>

 

岩佐美咲「アキラ」聖地巡礼1 3/12五稜郭~立待岬~函館山

~函館からアキラの思い出の地を巡る~

 

岩佐美咲「アキラ」聖地巡礼2

ハリストス教会~八幡坂~元町公園~金森レンガ倉庫

~アキラの思い出巡り函館の旅~2024年3月12日

以下岩佐美咲さんが載っている画像は徳間ジャパン岩佐美咲「アキラ」DVDから引用させていただきました。
岩佐美咲さんの「アキラ」21/10/6に発売以来2年以上たちました。アキラができるだけ多くの方の耳に届き、愛される歌になることを願っています。また岩佐さんにとっては新曲の発売が期待されるところでもあります。今回私は「アキラ」の聖地である函館の旅行を計画しました。2年以上たちアキラ整理巡礼、函館旅行を機にこの曲のすばらしさを再認識し、岩佐美咲さんの今後の展開につなげていければ幸いです。「アキラ」聖地巡礼のレポートを2回に分けて書かせて頂きます。前回は五稜郭~立待岬~函館山とアキラとの思い出の地を巡りました。そして今回教会群~八幡坂~元町公園~金森レンガ倉庫と函館の街を巡ります。主人公の女性はアキラとどこで出会い、どこを訪れたのでしょうか?歌の端々から想像しながら函館の街に思いをはせて思い出巡りをしたしました。皆様もいろいろな感想をお持ちだと思いますが、新たな発見の機会になればうれしいです。私はほぼ逆方向から歩きましたが、スポットの位置関係はこんなな感じです。

 

 

函館聖ヨハネ教会

 

函館山ロープウェイ山麓駅を出た私は3つの教会群のある場所へ向かいました。まず最初に表れたのは函館聖ヨハネ教会です。1874(明治7)年に英国人のデニング司祭が函館に上陸し宣教活動を始め、英国聖公会の教会として道内の先駆けとなりました。最初の教会は1878(明治11)年、基坂の下に建造されました。その後は度重なる大火による焼失で移転を余儀なくされ、現在の聖堂は1979(昭和54)年11月に完成したもので、中世紀におけるヨーロッパの教会にならった工法を用いた、近代的なデザインとなっています。(はこぶらより1部引用)

 

 

チャチャ通り

 

函館聖ヨハネ教会を抜けるとチャチャ通りです。アキラMVでも岩佐さんが思い出に浸りながら歩いていましたね。今回は雪が残り、夏とは違った美しい風情を見せてくれました。函館山のふもとにある坂のなかでも、かなり急な部類に入るチャチャ登り。「アイヌ語でおじいさんが腰を屈めて歩く様」と案内にあるとおり、勾配が急な坂を上ると前のめりで腰が曲がりそうです。「日本の道百選」に選ばれた大三坂を上がってくると、坂の途中には蕎麦彩彩 久留葉、少し進んで右手にカトリック元町協会。そこからさらに進んだ奥の坂がチャチャ登りで、道幅は車一台がやっと通れるほどの狭い石畳です。宗派の違う3つの教会が隣り合って立っているエリア。欧米ではこんなことはあり得ないでしょう。どの宗派も、日本での布教に困難を極めた時代があり、近代の日本に料理や生活様式、道徳観などの面で少なからず影響を与えたといいます。(はこぶらより1部引用)

 
大三坂
大三坂は、石畳の美しさと異国情緒あふれる建物群によるエキゾチックな雰囲気。カトリック元町教会を右手に見ながら港が丘通を過ぎると幅が急に狭まって、坂名はチャチャりに変わりま。
るるぶWEBさんより引用
 
たびらいさんのサイトより引用
 
カトリック元町教会
 
チャチャ登りへ入る手前に建つカトリック元町教会は、12世紀のゴシック建築様式を用いた、高くそびえるとがった屋根の大鐘楼が特徴です。徳川幕府が発布していたキリシタン禁教令が廃止されるのに先駆け、キリスト教宣教再開の象徴として、横浜と長崎に建立するカトリック教会と並び、国内では最も古い歴史を持ちます。

 

カトリック元町教会の壁伝いに岩佐さんが歩くシーン。夏には葉が生い茂っていましたが、冬は何か寂しい感じです。そのことでかえって教会の赤い屋根が際差たせていますね。

 

 

チャチャ通りの横、カトリック元町教会の目の前に函館ハリストス正教会があります。この3つの教会はそれぞれ個性があって、奇跡的な美しさです。アキラともたくさんの思い出を作られた地でしょう。

函館ハリストス正教会HPより引用

 

函館ハリストス正教会

 

異国情緒漂うエキゾチックな町並みを形作る洋風建築物の代表格と言えるのが、函館ハリストス正教会です。白壁と緑屋根の外観に加え、週末などに美しい音色を奏でる鐘があることも有名で、市民には「ガンガン寺」の愛称で親しまれています。鐘の音は「日本の音風景100選」認定。1859年、初代ロシア領事ゴシケヴィッチが現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保しました。翌1860年、領事館付属聖堂として建てられたのが、初代の聖堂です。1861年に来函した青年司祭聖ニコライが、この聖堂を拠点に日本で初めて正教会を布教しました。1907年に起きた大火で建物を焼失しましたが、1916年に二代目となる現聖堂が再建され、1983年に国の重要文化財に指定されました。レンガ造りの建物は壁を白色の漆喰塗仕上げにし、屋根は緑色の銅板を用いています。屋上には冠型をしたクーポル(ドーム状の小塔)が6つあり、それぞれに十字架が据えられています。(はこぶらより引用)

 

少し歩くとあの有名な八幡坂が見えてきました。坂の上から見下ろすと函館湾の美しいな情景、坂道の途中 海が見えてくるたび あの頃の潮風が吹く抜けていく♪実際にこの場所を体験してみて、視覚的というだけでなく、函館の風を感じる、どこか寂しげながら心洗われるような場所だと実感しました。

 

八幡坂

 

突き当たりにあるのは、演歌界の大御所・北島三郎が通ったことで知られる函館西高校。その真下からの眺めが絶景で、かつて、CMで年配の夫婦が手をつなぎながらスキップするシーンのロケ地として評判となり、「チャーミーグリーンの坂」と呼ばれることもあります。坂名は、河野政通の館跡地(現在の元町公園付近)から移設された函館八幡宮があったことに由来すると伝えられています。大火の被害を受けて1880(明治13)年に現在の谷地頭町に移ったものの、その後も坂の名称は残されました。かつては湾曲していたそうですが、今は海に向かって真っすぐの美しい道。港に係留展示されているを正面に青函連絡船記念館摩周丸望める、函館で1、2を争う人気の高い坂となっています。冬には「はこだてイルミネーション」で、街路樹と石畳が美しく照らし出されます。訪れる季節、時間によって異なる情景を、カメラのファインダー越しにもお楽しみください。(はこぶらより引用)

 

 

 

夜の八幡座も素敵です。海側に函館の街の明かりが見える情景はロマンチックですね。

 

八幡坂はいったん通り過ぎ、元町公園へ向かってゆきます。あたりはおしゃれなお店や歴史ある建物が並び、きわめて洗練された街風景です。時刻は15時を過ぎています。

 

 

旧函館区公会堂

 

函館元町のおしゃれな通りを抜けると、元町公園のすぐ前に旧函館区公会堂が表れます。アキラMV には出てきませんが函館を代表する歴史的建物です。函館山のふもとにある坂のひとつ・基坂を見上げると、正面に桟瓦葺の屋根に、外壁がブルーグレーとイエローの建物がのぞいています。観光客から高い人気を誇る旧函館区公会堂です。大火によって焼失した住民の集会所であった町会所を再建しようと、豪商相馬哲平氏や住民からの寄付などを元手に、1910(明治43)年に完成しました。1974(昭和49)年に木造2階建ての本館、1980年(昭和55年)に管理人室にあたる附属棟が国の重要文化財に指定さました。耐震補強を含めた大規模な保存修理工事のために2018年10月から休館していましたが、2021年4月26日にリニューアルオープンしました。(はこぶらより一部引用)

 

 

函館空港WEB サイトより引用

 

元町公園

 

函館が「はこだて」と呼ばれるようになった由来の場所。その始まりは室町時代に遡ります。後に松前藩の初代藩主となる武田信広とともに、津軽からやって来た河野政通が、現在の元町公園とペリー提督来航記念碑のある広場付近に、箱型の館を築いたことから、「箱館」の名がついたそうです。基坂下から見ると、まるで公会堂の前庭のような位置に元町公園はありますが、このそれほど大きくない公園には、たくさんの「函館」が詰っています。函館港を一望できる絶好のポジションでもある公園です。(はこぶらより引用)

 

 

 

基坂

 

かつては行政の拠点として、坂上に役所が置かれていたエリア。松前藩時代の亀田番所、幕府直轄時の箱館奉行所、明治以降は開拓使、その後は1950(昭和25)年まで渡島支庁……と、時代の経過とともにその名称も変わってきたのです。

 

 

ペリー提督来航記念碑

 

元町公園の下に位置する旧市立函館病院跡に建つペリー提督来航記念碑。黒船来航150周年となる2004(平成16)年に先駆け、地元団体の手によって、2002(平成14)年5月17日のペリー来航記念日に合わせて建立されました。

 

 

函館市旧イギリス領事館

 

1859(安政6)年の開港とともに、アメリカ、ロシアに次いで函館では3番目に開設された領事館です。1934(昭和9)年に領事館としての役目を終えて閉鎖され、1992(平成4)年に復元されて以降は、開港記念館として一般開放されています。函館市指定文化財(有形文化財)。

 

 

日和坂

日和坂付近には風情あふれるレトロな建物やカフェが点在。船魂神社のあたりにトビの飛ぶ姿が見られることから、坂上を「トビ坂」とよぶことも。

元町公園周辺を見学した私は八幡坂付近へ戻り坂を下りました。時刻は15:30頃です。

函館の街を歩いているとどこからでも海と函館山が見えます。この山を見るたび故郷を感じる方も多いのではないでしょうか?アキラと過ごした主人公の女性の日常生活も、この函館の海と函館山の風景の中にあったのかもしれません。

 

 

 

ベイエリア

 

八幡坂を7,8分ほど歩いて下りきったところがベイエリアです。ベイエリアは、函館港に沿って倉庫群が建ち並ぶ、函館の定番観光スポット。ショッピングやグルメはもちろん、明治期の函館の雰囲気を感じる歴史的な楽しみ方もできる。緑の島が見えますね。夜景も美しく、恋人たちにとっては絶好のデートスポットだと思います。

ラッキーピエロベイエリア本店。函館にはいたるところにラッキーピエロがありますね。

スターバックス函館ベイサイド店。歴史ある港町函館の雰囲気に合ったレトロな建物ですね。

金森赤レンガ倉庫到着です。時刻は16時近くになっています。思ったより早く回れましたので、レンガ倉庫見学の後、夕食もかねてラッキーピエロで休憩することにしました。新幹線で駅弁を食べてから何も食べていなかったので、お腹がすいてきました。

 

金森赤レンガ倉庫

 

港町の岸壁に建ち並ぶ赤レンガ倉庫は、横浜や神戸、長崎など各地に点在し、どこかロマンチックな風情を感じさせてくれる、その街のシンボルとなっています。我が国初の国際貿易港として開港した函館も例外でなく、市内有数の観光スポットとして四季を問わず、にぎわいを見せています。函館の西部地区にある金森赤レンガ倉庫は、長崎から函館に移り住み、輸入雑貨や船具などの販売を手掛けた初代渡邉熊四郎が1887(明治20)年に既存の建物を買い取り営業倉庫業に乗り出したのが始まりです。海運業の活況により、荷物の取扱量が年々増加したことで倉庫を増築し、営業規模を拡大していきました。そんな最中、1907(明治40)年に発生した大火で倉庫6棟が焼失し、代わりとなる不燃質の倉庫として1909(明治42)年に建てられたのが現在の建物です。その後、流通の多様化や北洋漁業の衰退などに伴い1988(昭和63)年に飲食店や土産物店が入居する複合施設へと姿を変え、観光スポットとなりましたが、現在でも数棟が現役の営業倉庫として使用されています。金森赤レンガ倉庫として営業する7棟の施設は、「函館ヒストリープラザ」「金森ホール」「金森洋物館」「BAYはこだて」に分かれていて、飲食店や土産物店などが軒を連ねています。また、冬には倉庫の目の前で、一大イベント「はこだてクリスマスファンタジー」が開催されます。

 

函館浪漫館

重厚なレンガ造りの倉庫を当時の面影のまま利用したガラスミュージアムショップ。

函館ヒストリープラザ

倉庫内のレトロな雰囲気が懐かしく温かみを感じて、たまらなくいいですね。

 

 

レンガ倉庫の間を通って運河へと向かう場面。金森赤レンガ倉庫の看板があり有名な場所へと到着。運河の前にはMV撮影でも岩佐さんが食べたがっていた函館コロッケのお店がありました。

 

金森赤レンガ倉庫運河前はアキラMVでも象徴的な場所になっていますね。明治15年頃に築造されたライトアップも美しい運河を囲むように、チャペルやクルージング、カフェなどが配置されています。 運河からの心地よい風を感じながら、まるで異国にいるかのような時間をゆっくりとお過ごしください。

 

 

美しい運河に沿ってカフェやチャペルが配置された「BAYはこだて」

 

 

はこだて明治館

 

はこだて明治館は、1911(明治44)年に建てられた函館郵便局を利用した施設。函館や北海道を代表するみやげ品が揃うショッピングモールです。ガラス製品の数々。手のひらサイズのかわいらしい置物にはじまり、アクセサリー、食器、ヴェネチアンガラスなど、幅広い品揃えが魅力です。そのほか、オルゴール、テディベアショップ、スイーツ、雑貨など、多彩なみやげ店が並びます。また、隣接する「はこだて海鮮市場」ではスイーツ、水産加工品、鮮魚、雑貨、ハムやソーセージなどを扱い、地方発送も行っています。

 

 

七財橋

 

七財橋は、ベイエリアの赤レンガ倉庫群近くにある、石畳が敷かれたコンクリート製の橋。BAYはこだての2つの建物の間にある掘割(運河)にかかり、赤レンガ倉庫や函館山を望むビュースポットや、港の風景の一部として親しまれています。1882(明治15)年に建てられた三菱汽船の事務所(現存せず)や倉庫(現在のBAYはこだて)に、沖止めの船から艀(はしけ)を使って荷物を運ぶための掘割が完成した後、1884(明治17)年に掛けられました。現在の橋は1969(昭和44)年に掛け替えられたもので、高倉健主演の映画「居酒屋兆治」に登場したことなどもあって、観光客にも広く親しまれています。七財橋の名前の由来は、三菱倉庫の建設工事全体の責任者で、橋の完成を待たずして死去した石川七財から採ったものです。倉庫は商業施設のBAYはこだてに転用されましたが、倉庫の建物と掘割と七財橋の3つがセットのままで維持されてきたことから、歴史的な価値が認められています。(はこぶらより引用)

七財橋から見る運河。金森倉庫の景観は倉庫と橋と運河と海が一体となったものですね。

 

 

倉庫の商業施設の中間あたりから運河をl見渡せる橋に出ることができます。

 

 

 

ラッキーピエロマリーナ末広店

 

やっとラッキーピエロマリーナ末広店に到着です。ラッキーピエロは独特の世界観で私たちを迎えてくれます。以前千葉にも0店舗あったようですが、現在函館にしかありませんので、ここに来なければバーガーを頂くことはできません。ラッキーピエロは全国的にも有名で、バーガーは百名店にも選ばれています。私は1番人気のチャイニーズチキンバーガーと人気NO.2のラッキーエッグバーガーを食べました。どちらも大変なボリュームで中身もダイナミック、分厚いパティとバンズでソーズもおいしく味は絶品でした。関東にないのは惜しいですが、函館に来たら必ず食べたいグルメですね。岩佐さんメイキングで再三ラッキーピエロ食べたいと言っておられまたが、頂くことはできたのでしょうか?私はゆったりとした海辺の席で、しばし幸せな時間を過ごしました。

時刻は16:45、市電の十字街駅から函館駅前駅へと向かいました。


函館駅到着です。それでもまだ旅は終わりません。青函連絡船記念館摩周丸のある函館港へ。

 

 

青函連絡船記念館摩周丸

 

北海道と本州を隔てる津軽海峡にはかつて、青函連絡船が航行していました。函館は北海道の玄関口となり、人の往来だけでなく、さまざまな物資が集積。1988(昭和63)年の青函トンネル開業に伴って、旅客貨物輸送の役目を鉄路にバトンタッチすると同時に、青函連絡船は惜しまれつつ廃止されました。現役引退した船舶のうち、濃い青色の船体が特徴の「摩周丸」は、資料展示とともに船内見学のできる観光名所へと生まれ変わり、 JR函館駅近くの岸壁に係留。以来、往年の姿を懐かしむ人が訪れ、再会を果たしています。(はこぶらより引用)

 

そして食べる方でもまだ終わりません。ラッキーピエロの味が忘れらっれず、函館駅前店に行きました。北海道と言えばジンギスカン、ジンギスカンバーガーは限定の店舗でしか売っていないのですが、どうしても頂きたいということでこれをテイクアウトしました。そして電車の待ち時間を利用してパクリ。さすがにお腹いっぱいですが、函館に来て海鮮も食べずラッキーピエロ三昧で、それはそれとして満足のいくグルメ旅でした。

 

函館発札幌行の特急北斗、一度は乗ってみたいロマンを感じる列車です。

そして18:04はこだてライナーで函館を発ち、新函館北斗18:40発はやぶさ48号で家路へと着きました。新幹線への乗り換えは隣り合わせのホームでつながっているので楽です。東京駅到着は22:52、家に帰ったのは0時過ぎでしたが、一日時間をフルに使い大変有意義な旅になりました。

アキラは発売以来3年目に入っています。今ここでアキラという楽曲はどんな背景で制作されたのか、アキラと主人公の女性はどんな人物か、また聖地函館を巡り、この楽曲の認識を新たにすることができました。この旅行の後聴かせていただいた岩佐美咲さんのアキラは、より一層深みをもって心に響いてきました。岩佐さんまた発売当初の事を思い出し、初心に帰って検証するのもよいでしょう。またアキラの歌唱も一段と味わい深さをもって今後も歌い続けていかれる事でしょう。今回思い切って函館聖地巡礼の旅を企画してよかった。そう思える素晴らしい旅行でした。皆さんもアキラの聖地である函館を訪れ、ゆかりの場所やグルメを堪能していただければ幸いです。この度は最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

岩佐美咲「アキラ」の制作者

 

作詞は言わずもがなと知れた秋元康先生、秋元先生は岩佐さんに演歌歌手でやってみないかとお持ちかけ、彼女の楽曲に毎回参加して下さる大切なお方です。前作は作詞を行っていなかったが、本作ではふたたび作詞を担当しています。以前岩佐さんに大人になっても歌っていけるように作詞しているとお話しされていたそうで、岩佐さんそんなことまで考えてくれているんだなあと感激しておりました。作曲は小網準先生。AKB48の18thシングル「Beginner」のカップリング「僕だけのvalue」、SKE48の12thシングル「美しい稲妻」劇場盤のカップリング「夕立の前」、柏木由紀のソロ1stシングル「ショートケーキ」(Type-C)のカップリング「クラス会の後で」の作曲ほか、多くの楽曲を手がけている方です。なので秋元先生との双生も抜群、「アキラ」でも秋元先生の意図をよく組み入れ、見事な曲に仕上げておられると思います。

 

アキラという男性と主人公の女性

 

1から9まで嘘でいいから 一瞬でも 愛してた それは本当だよね♪冒頭の指を折りながら数える振り付けはこのことだったのかとわかります。それではアキラはどんな男性だったのでしょうか?岩佐さんが思うにこのアキラという男性は女たらしではなかったかということでしたが、それでも愛してしまい、思い出に深く刻まれる存在になった。なんと切ない恋物語なのでしょう。嘘をつかれても許して愛すことができた、単にいい人では、かえって深く愛することができなかった。悪いところも全部好きだったということでしょう。そういう男性像を描いたからこそこの曲の深みもより増しているのだと思います。

以下画像は10/9応援ソングだよ全員集合より引用

しかし、この主人公の女性は悲恋にはらはらと崩れ落ちるような女性ではありません。どんな悲しみも 幸せだった日々があれはあれでよかったと言い聞かせる♪というところや 最後のほうで曲調が代わり、男運がないなんて思わない あんなに愛せた男がいたもの♪というフレーズ、岩佐さんがこの曲の中で好きな歌詞とお話しされて力を込めて歌われていますが、この主人公の女性は女性らしい繊細でけなげな心を持ちながらも、きっとこの恋愛から立ち直るすべを持った芯の強い女性なのだと思います。この女性は恋の敗北者ではない。敗北とは認めたくないという強い意思が見て取れます。この女性の力強さに単なる悲恋の物語でない救いがありますね。函館の美しい情景を思い浮かべながら、この弱さと強さの微妙なバランスの表現に、ただただ落ち込むことのないこの歌の印象の良さがあると思います。

函館山から夜の街を眺めれば キラキラ輝いている 涙も真珠♪なんと美しい表現なのでしょう。深い悲しみがありながらも美しい思い出の変えようとするこの女性の心にも打たれますが、この歌の楽曲制作のセンスが香る一場面でもあります。歌詞に合った振り付けを三波美夕紀先生につけていただいたきました。ここの部分の振り付けもそうですが、涙を真珠と比喩するしぐさや、ねぇアキラのところで繰り返し行われる印象的な表情と手ぶりが、細かい部分の所作は岩佐さんならではの女性らしい繊細さが表れています。このこの繊細で美しい手の表現が曲の品位を高め、私たちを魅了してくれます。前作右手と左手のブルースにみられた切ない大人の恋愛の微妙な感情表現がここでも生きていると思います。コンサートででははアキラも披露、生演奏での歌唱はカラオケにはないライブ感があり、満席のお客さんの熱気とパワーで一層エネルギッシュな歌唱だったと思います。

 

徳間ジャパンツイッターより引用

岩佐美咲21/10/5神田明神でヒット祈願 アキラ発売日直前レポ

 

以下の文章および画像は上記全国歌謡情報センターの記事を参照、

岩佐美咲

演歌歌手としてソロデビューして10年目、AKB48を卒業し演歌歌手1本で活動を始めて5年目を迎えた岩佐美咲が、通算10枚目のニューシングル『アキラ』を10月6日に発売するのを記念して前日の5日、東京・千代田区の神田明神で新曲ヒット祈願を行った。今度の新曲は、北海道・函館が舞台。拝殿でご祈祷を受け、同曲のヒットを願った岩佐は「こういう神聖な場は緊張しますが、とてもいいお天気の中、ヒット祈願をしていただきましたので、明日、発売日を迎えるにあたって、改て気合いが入りました。今回は10枚目のシングルなので、いつも以上に気合が入っています」同神社は、AKB48に在籍中、二十歳の成人式イベントでメンバーたちと訪れた思い出の場所でもあり、「朝が早かったのを覚えていますが、いい思い出になりました。その当時、私の成人式を見守っていてくださっていたファンの方がいまも応援してくださっていたりするので、ここに来るとその当時のことを思い出して、また初心に帰りますね」

岩佐美咲

岩佐美咲

徳間ジャパンツイッターより引用

岩佐美咲ツイッターより