清原引退会見 | KONCHAN音楽プロデューサ-のよもやま話

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セレモニー終了後の記者会見で清原は涙ぐみながら、約50分間、思いを語った

最後の打席は?
「あのストレートを空振りして『あ、終わった』と。自分自身で納得できた」
仰木元監督に報告するなら? 
「誘ってくれなければ、ボクの野球人生は恨みしか残らなかった。『大阪へ来て良かったやろ、キヨ』と言ってくれると思います」
昨年の左ひざ手術後も険しい道のりだった。
「昨年、ほぼ、引退しようと思っていた。でも、少しでも、大阪に、オリックス球団に恩返しをしたかった。手術を受ける時、ボクも最後まで闘い抜こうと決めた」
阪神・金本が駆けつけてくれた。
「シーズンの一番大事な時なのに来てくれた。足が痛いと言えば、治療院を紹介してくれたり(遠征先の)宿舎で治療器を持って待っていてくれた。そういう金本選手に、ボクもほれました」
長渕剛さんは「とんぼ」を熱唱してくれた。
「いつも心が折れそうになる僕を励ましてくれた。『とんぼ』はボクの野球人生を表しているような曲。ボクの魂を鎮める『とんぼ』を心の底から歌っていただいて、僕の野球人生が終わった」
2人の息子さんからも花束をもらった。
「ボクがケガで野球ができない時は、一切野球をしたがらなかったのに、ユニホームを着るようになると、やたらとキャッチボールをせがむようになった。悔いが残るとすれば、息子たちに、もう1本、ホームランを見せてあげたかった」
一番印象に残る本塁打は?
「525本打ちましたけど、やっぱり1本目のホームランです」
打撃タイトルと無縁だった。
「プロ野球の歴史の中で一番三振したバッター、一番デッドボールを受け、一番サヨナラホームランを打ったバッター。もちろんタイトルは取りたかったけど、8度も日本一を経験させて頂いたし、それ以上求めたらバチが当たります」
桑田氏と同じ年に引退。
「(桑田氏も)ジャイアンツのユニホームを脱いでから、高校時代のボクと桑田との関係に戻れた。アメリカは遠かったですけど、心が近く感じられるようになった」
今後、指導者として野球界に戻る日は?
「そういう夢はありますけど、とにかく今は、23年間酷使してきた体を休めてあげたい」
(会見を終えて立ち上がり、報道陣に)
「多々無礼があったと思う。ボク自身、弱い人間と自覚していた。だから、自分を守ろうと、そういう態度をとってしまった。良いことも悪いこともこれほど取り上げていただいた幸せな野球選手はいないと思う」